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2016年4月3日(日) 復活節第2主日 ヨハネによる福音書20章19節-31節
ヨハネ福音書でイエスは十字架上で父の栄光を示された。「栄光」とは「神の業」「神ご自身」の意。と言うことは、「神」は十字架につけられた姿を指しているのだ。何と言うこと、所謂、神々しいとは真逆だ。その悲惨極まりないイエスが恐怖と自責の深淵にいる弟子たちに、立ち上がれと声をかけるのだ。「復活」とは白い衣を纏った「栄光」のイエスが死から蘇ったことではなく、十字架に架けられたイエス、つまり、イエスの生涯そのものが真実、人間の追及すべき在り方であることを言う。だから、弟子たちはそれを告げに出発するのだ。 |
2016年4月10日(日) 復活節第3主日 ヨハネによる福音書21章1節-19節
「神がイエスを死者の中から起こした。」(ローマ?・9)とは死体がむっくりと立ち上がったことを言うのではない。イエスの生涯が無駄ではない、人間としての本来のあり方を示している。つまり、神に従った生き方であり、価値ある人生であったことを認めることだ。だからこそ、弟子だちはイエスの後に続く者として立ち上がったのだ。イエスは「わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯。」(詩119・105)となって、弟子たちの人生にイエスは生きておられる。 |
2016年4月17日(日) 復活節第4主日 ヨハネによる福音書10章27節-30節
「復活」とは神がイエスを死者のうちから「立ち上がらせた」ことだ。即ち、イエスの生は終わったのではなく、後に続く者たちを艱難にあっても力付け、背を押し、前に進ませることなのだ。羊はその声を聞き分ける、と言う。それは、虚しい言葉にではなく真実のことば、すべての人の生を幸いとする言葉を聞き分け、従うこと。キリスト者とはまさにそのイエスの声を聴き後を追う者なのだ。 |
2016年4月24日(日) 復活節第5主日 ヨハネによる福音書13章31節-33a節、34節-35節
イエスの「復活」とは、キリスト者がイエスの言葉を聞いて従うこと。そのキリスト者の姿にイエスが生きていることを人々が認めること。それは旧約聖書の神を賛美することと同じ。神を賛美するとは、人が神が示された人としての生き方、社会の在り方に従って生きることだ。同様に「神は愛」と賛美することは、人が他者を愛することに他ならない。何故なら、神がまず人を愛されたからだ。旧約では、あなた方はエジプトの奴隷から救われたから、「寄留者、やもめ、みなしごを」大切にしなさい。と度々神から招かれている。イエスも私があなたがたを愛したように、と弟子を招いている。キリスト者が特に弱い立場の人を大切にすることが、イエスは生きておられることの証しとなる。 |
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