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2016年2月7日(日) 年間第5主日 ルカによる福音書5章1節-11節
貧しい人に福音を告げるイエスは、日々の生活に倦み疲れ思考停止した私たちに、目を転じ、チャレンジし、不可能と思うことへ一歩踏み出すよう声をかけられる。人生が日々の必要を満たすことから平和の道具になることへ私たちをイエスは招かれる。 |
2016年2月14日(日) 四旬節第1主日 ルカによる福音書4章1節-13節
イエスは「貧しい者に福音を齎す」使命に旅立つ前に、自分は何をなすべきか、何をなさないべきか熟考した。それを「荒野での試練」物語として表現している。「荒野の試練」はユダヤ人には馴染みの出エジプトの荒野の旅である。その旅は、人間の「自律」の過程と言われる。真理の追究、理想の実現には様々な捕らわれが足を妨げる、それからの解放には確かな言葉、指針が必要。出エジプトの人々はヤハーウエ神に従った。イエスも試みには神の言葉に従い、退けた。即ち、イエスは権力、富、名誉を求めるのではなく、与える生き方を選んだ。 |
2016年2月21日(日) 四旬節第2主日 ルカによる福音書9章28b節-36節
山、雲、声、これらはシナイ山でのモーセへの神からの掟の授受を想起させる。それは、神からエジプトを脱出して荒野を進むヘブライの人々に生活の仕方を示されたのであった。従って、山上の変容の物語の中心は、弟子たちの進むべき方向がイエスによって示されること、即ち、受難の道であることを神から与えられたのだ。 |
2016年2月28日(日) 四旬節第3主日 ルカによる福音書13章1節-9節
「悔い改めなさい」は神の人間への「慈しみ」だ。人は裏切るが神は裏切らない、人が契約に忠実であるように呼びかけ続ける。契約を守ることは人の生命を幸いにするからだ。「悔い改め」は実を結ぶ。それを神の喜ばれる生贄は「打ち砕かれた霊」(詩51、19)と言う。(ユダヤ教では、神のゆるしを得るために牛などの生贄を捧げていたこととの比較。) 「打ち砕かれた霊」とは「正義を愛し、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと」(ミカ6・8)まさに、神が人に示された方向指示に従って歩むこと。人が人として尊重されtるように努めること。 |
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