|
2015年7月5日(日) 年間第14主日 マルコによる福音書6章1節-6節
イエスは故郷では敬われず、力ある業を出来なかった、との物語りは何を教えるのか。 イエスの人々の驚く働き、いわゆる癒しの業とは、本人の内にある力を引き出すこと、つまり、エンパワーメントと言われること。墓場の悪霊憑きの人の場合では、「出て行け」と命じた。力を封じ込めるのではなく解放へと声を掛けた。また、12年間出血症の女性は治りたいと言う願望を引き出し、イエスの服に必死に手を伸ばした。このように、病気の当人の内にある力をイエスは導き出し、病を癒すこととなったのだ。従って、当人の何とかしたいと言う強い意志がなければ癒されないのだ。故郷の人のイエスへの関わりは言わば傍観者的、見世物的であった、癒し、立ち直りへの強い意志はなかった。イエスは自分たちへ「癒し」のパフォーマンスをしてくれるだろうと見世物的にイエスを見ていたのだ。 自分を変えたい、社会を変えたいの願いも誰かがやってくれるだろうでは、何も変わらない。それでは、イエスも無力でしかない。 |
2015年7月12日(日) 年間第15主日 マルコによる福音書6章7節-13節
イエスはガリラヤで活動された。ガリラヤはパレスティナ地方では唯一の雨の降る肥沃な食糧生産地であり、同時に東西交通の要所、港もあり地中海貿易の拠点だった。それ故、遥か紀元前3000年もの昔から現代まで、大国の絶えざる奪い合いの地であった。イエス時代にはローマ帝国の支配下にあった。人口の99%を占める農民はローマ、ヘロデ、神殿、大地主からの重税により多額の債務を抱え、農奴となった。彼らは極貧のなかで、飢え、病み、裸同然に生きるしかなかった。 更に、ユダヤ教の煩雑、膨大の律法を守らないから(生活上無理)と言って、「罪人」「汚れた者」と呼ばれ、宗教的救いからも排斥されていた。彼らは政治的宗教的に搾取、差別され生きる屍とされていた。イエスの眼前には「飼い主のいない羊」たちが二重三重の重荷に押し潰されていたガリラヤの貧しい人たちが彷徨っていたのであった。彼は心がむしり取られるような痛みを感じた。そして、立ち上がった。 イエスは旧約聖書以来の人間としての在り方に耳を傾け、それを実践した。即ち、「あなたの神、主が与えられる土地で、どこかの町に貧しい同胞が一人でもいるならば、その貧しい同胞に対して心をかたくなにせず、手を閉ざすことなく、彼に手を大きく開いて、必要とするものを十分に貸し与えなさい。…彼に必ず与えなさい。また、与えるとき、心に未練があってはならない。このことのために、あなたの神、主はあなたの手の働きすべてを祝福してくださる。」(申15・7−11) イエスの悪霊追放とは貧しい人々との連帯であり、重荷を押し付ける政治経済の社会構造や利己主義との闘いのこと。イエスに倣う教会でありたい。 |
2015年7月19日(日) 年間第16主日 マルコによる福音書6章30節-34節
イエスの眼前に拡がる風景は、2000年後の現在にもある。例えば、戦争の終わらないシリア地域からの難民、ヨーロッパに向かって何十万人が逃避行続けている。或いは、仕事を探しに命がけで地中海を横断してくるアフリカの人々。国内では格差が拡がり、飢えて死んで行く母子家庭の子どもたち、等々。イエスはそれらの人々を前に呻吟したことだろう。自分は心痛め何かしたい。しかし、何も出来ない。自分は、まず、故郷の母や兄弟姉妹の面倒を見なければならない、それ以上に何をしなければならないのか。しかし、見過ごすことはできない。現代の私たちも同じではないか。助けを必要とする人は無数にいる。何とかしたいと思うが、無力な自分には何もできない、と心痛めている。 しかし、無力なイエスは立ち上がった。何故なら、イエスには神からの声が響いていたからだ。「あなたはどこにいて、何をしているのか」との声が。まず、彼はいっしょに働く仲間を集めて大海の水を一滴ずつすくい上げるように、路上で出会う一人一人と関わった。そして、それだけに留まらず、ガリラヤの人々を苦しめているエルサレムの政治宗教の指導者たちの回心を非暴力無抵抗で迫った。これは、無力と感じる私たちにも出来ることを示している。 |
2012年7月26日(日) 年間第17主日 ヨハネによる福音書6章1節-15節
イエスの周りには飢え、裸で家のなく彷徨う人々がごまんといた。それらの人々を配慮する指導者たちはいなかった。イエスは運動を始めた。「日毎の糧が得られるように」。どのようにしたのか。天からパンを降らせたのか、それとも奇跡的にパンを増やしたのか。したことは、めいめいがあるものを提供しただけだ。 少年がしたように。私たちの周りにも同様に生活に困窮した人々が数多いる。何ができるか、誰でも出来ることを今日の箇所は教えている。 |
|