ももちゃんの一分間説教



今週の一句
梅雨空や 働きづめて 母上り

―もとゐ―


 2015年7月5日(日)
 年間第14主日

 マルコによる福音書6章1節-6節

6,1 〔そのとき、〕イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。
6,2 安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。
6,3 この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。
6,4 イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。
6,5 そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。
6,6 そして、人々の不信仰に驚かれた。
〔それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。〕

 イエスは故郷では敬われず、力ある業を出来なかった、との物語りは何を教えるのか。

 イエスの人々の驚く働き、いわゆる癒しの業とは、本人の内にある力を引き出すこと、つまり、エンパワーメントと言われること。墓場の悪霊憑きの人の場合では、「出て行け」と命じた。力を封じ込めるのではなく解放へと声を掛けた。また、12年間出血症の女性は治りたいと言う願望を引き出し、イエスの服に必死に手を伸ばした。このように、病気の当人の内にある力をイエスは導き出し、病を癒すこととなったのだ。従って、当人の何とかしたいと言う強い意志がなければ癒されないのだ。故郷の人のイエスへの関わりは言わば傍観者的、見世物的であった、癒し、立ち直りへの強い意志はなかった。イエスは自分たちへ「癒し」のパフォーマンスをしてくれるだろうと見世物的にイエスを見ていたのだ。

 自分を変えたい、社会を変えたいの願いも誰かがやってくれるだろうでは、何も変わらない。それでは、イエスも無力でしかない。
今週の一句
初蝉や 厚き雨雲 払うかな

―もとゐ―


 2015年7月12日(日)
 年間第15主日

 マルコによる福音書6章7節-13節

6,7 〔そのとき、イエスは〕十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け、
6,8 旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、
6,9 ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。
6,10 また、こうも言われた。「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。
6,11 しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい。」
6,12 十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。
6,13 そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。


 イエスはガリラヤで活動された。ガリラヤはパレスティナ地方では唯一の雨の降る肥沃な食糧生産地であり、同時に東西交通の要所、港もあり地中海貿易の拠点だった。それ故、遥か紀元前3000年もの昔から現代まで、大国の絶えざる奪い合いの地であった。イエス時代にはローマ帝国の支配下にあった。人口の99%を占める農民はローマ、ヘロデ、神殿、大地主からの重税により多額の債務を抱え、農奴となった。彼らは極貧のなかで、飢え、病み、裸同然に生きるしかなかった。

 更に、ユダヤ教の煩雑、膨大の律法を守らないから(生活上無理)と言って、「罪人」「汚れた者」と呼ばれ、宗教的救いからも排斥されていた。彼らは政治的宗教的に搾取、差別され生きる屍とされていた。イエスの眼前には「飼い主のいない羊」たちが二重三重の重荷に押し潰されていたガリラヤの貧しい人たちが彷徨っていたのであった。彼は心がむしり取られるような痛みを感じた。そして、立ち上がった。

 イエスは旧約聖書以来の人間としての在り方に耳を傾け、それを実践した。即ち、「あなたの神、主が与えられる土地で、どこかの町に貧しい同胞が一人でもいるならば、その貧しい同胞に対して心をかたくなにせず、手を閉ざすことなく、彼に手を大きく開いて、必要とするものを十分に貸し与えなさい。…彼に必ず与えなさい。また、与えるとき、心に未練があってはならない。このことのために、あなたの神、主はあなたの手の働きすべてを祝福してくださる。」(申15・7−11)

 イエスの悪霊追放とは貧しい人々との連帯であり、重荷を押し付ける政治経済の社会構造や利己主義との闘いのこと。イエスに倣う教会でありたい。 
今週の一句
台風や 木の葉揺らして 近づきぬ

―もとゐ―


 2015年7月19日(日)
 年間第16主日

 マルコによる福音書6章30節-34節

6,30 〔そのとき、〕使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。
6,31 イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。
6,32 そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。
6,33 ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。
6,34 イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。

 イエスの眼前に拡がる風景は、2000年後の現在にもある。例えば、戦争の終わらないシリア地域からの難民、ヨーロッパに向かって何十万人が逃避行続けている。或いは、仕事を探しに命がけで地中海を横断してくるアフリカの人々。国内では格差が拡がり、飢えて死んで行く母子家庭の子どもたち、等々。イエスはそれらの人々を前に呻吟したことだろう。自分は心痛め何かしたい。しかし、何も出来ない。自分は、まず、故郷の母や兄弟姉妹の面倒を見なければならない、それ以上に何をしなければならないのか。しかし、見過ごすことはできない。現代の私たちも同じではないか。助けを必要とする人は無数にいる。何とかしたいと思うが、無力な自分には何もできない、と心痛めている。

 しかし、無力なイエスは立ち上がった。何故なら、イエスには神からの声が響いていたからだ。「あなたはどこにいて、何をしているのか」との声が。まず、彼はいっしょに働く仲間を集めて大海の水を一滴ずつすくい上げるように、路上で出会う一人一人と関わった。そして、それだけに留まらず、ガリラヤの人々を苦しめているエルサレムの政治宗教の指導者たちの回心を非暴力無抵抗で迫った。これは、無力と感じる私たちにも出来ることを示している。 
今週の一句
入道雲 逆さに写る ぶどうの実

―もとゐ―


 2012年7月26日(日)
 年間第17主日

 ヨハネによる福音書6章1節-15節

6,1 〔そのとき、〕イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られた。
6,2 大勢の群衆が後を追った。イエスが病人たちになさったしるしを見たからである。
6,3 イエスは山に登り、弟子たちと一緒にそこにお座りになった。
6,4 ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた。
6,5 イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたが、
6,6 こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。
6,7 フィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えた。
6,8 弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。
6,9 「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」
6,10 イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。
6,11 さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。
6,12 人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。
6,13 集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。
6,14 そこで、人々はイエスのなさったしるしを見て、「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」と言った。
6,15 イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた。

 イエスの周りには飢え、裸で家のなく彷徨う人々がごまんといた。それらの人々を配慮する指導者たちはいなかった。イエスは運動を始めた。「日毎の糧が得られるように」。どのようにしたのか。天からパンを降らせたのか、それとも奇跡的にパンを増やしたのか。したことは、めいめいがあるものを提供しただけだ。

 少年がしたように。私たちの周りにも同様に生活に困窮した人々が数多いる。何ができるか、誰でも出来ることを今日の箇所は教えている。 


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