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2014年5月4日(日) 復活節第3主日 ルカによる福音書24章13-35節
ユダヤ教の人々は過越し祭の祝いの時、子どもたちからその意味を問われたら、その由来を話すのは親の義務としていた。(出エ12章21~28)それでは、カトリックの私たちはミサを子どもや周りの人たちに説明できるだろうか。今日の福音の箇所は、その参考にできる。つまり、イエスに従う私たちは、イエスが誰であり、何をし、しようとしたのかを知り、学び、聖書に聴き、そして、ついて行くことを決心するためにミサが行われることを。パンを食すのはイエスのことが分かり、ついて行くことをイエスと約束し、祝う徴なのだ。だから、弟子たちの目が開き、イエスが生きていること、即ち、共に目標に向かって旅するかたであることを悟り、再出発したのだ。 |
2014年5月11日(日) 復活節第4主日 ヨハネによる福音書10章1-10節
イエスは様々に譬えられる。ヨハネ福音書は譬えに満ち満ちている。ことば、光、渇かない水、飢えないパン、etc.それだけ、イエスに出会った人はその豊かさに触れたのだろう。 今日は羊飼い、門に譬えられている。エゼキエル書34章、羊飼いについてを読むと、その意味を推し量れる。エゼキエルは国を滅ぼし、人々を流浪の民としたのは、指導者たちだと裁いたのであった。彼らは自分のことだけ考え、弱い羊の面倒を見なかった悪い羊飼いだと譬えた。そして、弱く傷ついた羊を捜し、世話する良き羊飼いを神が立てると希望を語っている。 ヨハネ福音書の共同体は、エゼキエル書からヒントを得て、イエスが指導者たちから「罪人」と呼ばれ、貧しくされ、彷徨う人々を幸いと命の豊かさに導く。自己を顧みない良き羊飼いであったことを証ししているのだ。 |
2014年5月18日(日) 復活節第5主日 ヨハネによる福音書14章1-12節
今、日本の指導者たちは集団自衛権の行使により戦争の出来る国に変えようとしています。先の大戦で未憎の惨禍を体験した国民は不戦の誓い、話し合いによる紛争の解決、基本的人権の尊重を憲法に定め戦後の日本を築いてきました。しかしながら、現政権は戦争遂行のため、現憲法を破壊し、国家に奉仕する国民にしようとしています。まさに、紀元前6世紀のエゼキエルが断罪した「悪しき羊飼い」が今の日本の指導者たちではないでしょうか。イエスを「良き羊飼い」、「道、真理、命」と告白するキリスト者は今の日本の指導者たちを「否」と言わなければ、子や孫の命、人権を守ることは出来ないのではないでしょうか。 |
2014年5月25日(日) 復活節第6主日 ヨハネによる福音書14章15-21節
キリスト者とは、人間のあるべき姿、方向、そして人間集団の理想を神が提示されたとし、その神の呼びかけに応えたイエスを模範とし、彼に従う者だ。イエスの姿は、旧新約聖書から浮かび上がる。聖書を読むことはそのイエスに出会い、今をどう生きるかを考えること。それを聖霊の働きと言うのが教会の教え。つまり、聖書を読まないと聖霊は働かない。 |
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