ももちゃんの一分間説教 バックナンバー |
2013年11月3日(日) 年間第31主日 ルカによる福音書19章1節-10節
ザアカイはイエスに出会った。そして、それまでとは違う人生へと舵を切った。貪欲に金を貯めることだけが生きがいであった。何となれば、徴税人の頭として人々から売国奴・守銭奴と忌み嫌われ、律法への「罪人」として共同体から排除されていたザアカイは、金さえあれば人々は頭を下げるだろう、必ず、見返してやると考えていたから。人々がザアカイへ不平等な扱いをすればするほど、心を閉ざしあくどく税を徴収し続けたのだった。 そんなザアカイはイエスと出会った。イエスの生涯はザアカイの人生を守銭奴から貧しい者と共に生きる方へ、つまり、「神の子」として生きることを気づかせたのだった。 「神の子」であるキリスト者は方向転換に招かれている。 |
2013年11月10日(日) 年間第32主日 ルカによる福音書20章27節-38節
子が無くて亡くなった兄のために、弟が兄嫁との間で子を設ける義務があると言うレビラート婚の規定は「家」を代々残す知恵であっただろう。復活は「家」の永続性を保証するものではない。この世のあり方とは無関係、むしろ、分からないのがあの世なのだ。だから、そんな詮索より、今、神に従うことが大事だ、とイエスは言う。すなわち、命が脅かされている今、何をなすべきかを考え、行うことが神への信仰だ、とイエスは教えている。安倍政権の暴走を阻止することが今大事なのだ。 |
2013年11月17日(日) 年間第33主日 ルカによる福音書21章5節-19節
イエス死後のユダヤではローマ帝国の圧制と度重なる地震や飢饉が続き、人々は世の終わりの前兆と見て、神の助けを待ち焦がれていた。急進派の熱心党は武力闘争をしたけれど、結局は、70年のローマ軍によってエルサレムと神殿は徹底的に破壊された。その間、イエスの弟子たちは原始エルサレム教会を設立するが、エルサレム滅亡とともに消え、多くはシリアや小アジアへと逃げて行った。ユダヤ教とローマ帝国皇帝の迫害にも関わらず、キリスト教会は残った。ついに、紀元4世紀には帝国の国教とまでなった。 迫害や戦争、大災害にもかかわらず、キリスト教が生き残ったのは、絶えることなくキリスト教を続けていた先人たちがいたからだろう。 21世紀に生きる私たちは、後の世紀にもキリスト教を伝え続けねばならない。そのためには、後世の人々に残すべきキリスト教にしなければならない。 例えば、特定秘密保護法案を廃止すべきキリスト教にならねばならない。 |
2013年11月24日(日) 王であるキリスト ルカによる福音書23章35節-43節
イエスは政治犯としてローマ帝国によって処刑された。なぜなら。帝国の属州であるユダヤの治安を乱すものと見られたからだ。つまり、危険人物を事の起きるまえに排除されたのだ。 今日のルカによる福音の受難物語では、貧しい人々から期待されたメシアとしての威厳も尊厳もない、無力な姿のイエスを描いている。それは、イエスが優先的に交流した「徴税人や罪人」が社会から日頃与えられる侮辱や蔑みの状態にイエスが立たされたということだ。イエスは王として権力ある者が底辺にいる人々を可哀そうと思って恩恵を施すのではなく、まさに、何もかも奪われた同じ哀れな立場になったのだ。犯罪人と並んで十字架にかけられたことがそれをはっきり示している。キリスト教会がイエスを王と呼ぶのは社会から貶められ排除された人々の仲間でいたことを言うのではないか。 現代の教会のあるべき姿を示しているのではないか。 |
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