今週の一句
秋の夜は ギターと奏でる 恋の歌

―もとゐ―


 2011年11月6日(日)
 年間第32主日

 マタイによる福音書25章1-13節

25,1 〔そのとき、イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。〕「天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。
25,2 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。
25,3 愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。
25,4 賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。
25,5 ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。
25,6 真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。
25,7 そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。
25,8 愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』
25,9 賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』
25,10 愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。
25,11 その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。
25,12 しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。
25,13 だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」

 「死の陰」を歩まざるを得ない人間は、何かに頼る。老後に備えて、年金や保険、貯蓄、等。しかし、それも、今や危ない。またぞろ、年金支給年齢の引き上げが検討されている。

 旧約聖書には、飢えた人たちにマナを集めるときは、今日の分だけで、明日の分は集めるなとの神の言葉がある。それは、明日を思い煩うばかりの私たちに、何を呼びかけているのだろうか。明日の分を取るということは強い人が多く集め、弱い人の分まで取るという、格差が生まれるのではないか。

 ヘブライ人が目指した理想郷は、相互扶助の機能した共同体であった。(イザヤ書58章参照)互いが助け合うならば、困難を強いられることはない。互いが無関心で、孤立無縁になるから、明日が心配なるのだ。

 誰も助けない、誰かに助けを求めないから、生きることは不安だらけとなる。
 自分の油が足りなくなるのを心配することから、与え、与えられるようにしよう。 
今週の一句
秋の空 母娘のスキップ 駆け上がる

―もとゐ―


 2011年11月13日(日)
 年間第33主日

 マタイによる福音書25章14-30節

25,14 〔そのとき、イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。〕「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。
25,15 それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、
25,16 五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。
25,17 同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。
25,18 しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。
25,19 さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。
25,20 まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』
25,21 主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』
25,22 次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』
25,23 主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』
25,24 ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、
25,25 恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』
25,26 主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。
25,27 それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。
25,28 さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。
25,29 だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。
25,30 この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」

 私が「今、ここに」生きているのは、「生かされている」から。何故、こんな「私」を。何故なら、「私」に「託された」お方がいるからではないか。宇宙をはじめ隣り近所の爺さん婆さんと共に生きることが「私」に託されているのだ。お方のこの壮大な意図に応えられるよう、常に、アンテナを張ろう。

 飢えている人に心を配り 苦しめられている人の願いを満たすなら あなたの光は、闇の中に輝き出で あなたを包む闇は、真昼のようになる。(イザヤ書58・10)  
今週の一句
うらぶれた 街並みに立つ 菊の花

―もとゐ―


 2011年11月20日(日)
 王であるキリスト

 マタイによる福音書25章31-46節

25,31 「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。
25,32 そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、
25,33 羊を右に、山羊を左に置く。
25,34 そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。
25,35 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、
25,36 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』
25,37 すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。
25,38 いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。
25,39 いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』
25,40 そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
25,41 それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。
25,42 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、
25,43 旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』
25,44 すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』
25,45 そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』
25,46 こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」

 死の陰を歩む人生だが、幸運にも命長らえ、生活にも困らず、職も得ている。仏教なら良縁があると言うかもしれない。聖書ではヘブライ人がカナンの土地を神が与えたと言うに、私たちの命と暮しもそうである。他方、私たちの周りには困難を抱えている人々が多くいる。何故だろうか、神が恵まれないからだろうか。

 否、人が意図的に作り上げた社会構造から来ている。現代ではグローバル経済、新自由主義と呼ばれる、守銭奴的金儲けが弱い人々を貧しく、病気にさせている。恵まれた私たち、その構造から恩恵を得ている。「原発問題」もその一つである。私たちはその意味で、他者を犠牲にして恵みを得ていると言える。この状況をどうしたらいいのか。2000年前のイエスも考えたろう。そして、イエスが選んだのは小さくされた人々と分かち合う生き方であった。私たちどう生きるのだろうか。 
今週の一句
通い路の 黄色に染めて 舞う落ち葉

―もとゐ―


 2011年11月27日(日)
 待降節第1主日

 マルコによる福音書13章33-37節

13,33 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。
13,34 それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。
13,35 だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。
13,36 主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。
13,37 あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」

 教会の典礼暦では今日が一年の始まり。去年は、大震災があったけれど、喉元過ぎればと言うように、月日が経てば何となく過ぎて行ってしまった感じ。そんな私たちに、イエスは呼びかける。「目を覚ましていなさい」と。旧約の預言者エレミヤは、ユダ国滅亡の破局時期に「何を見ているのか」と神から呼ばれたと言う。

 大震災、原発事故と言う未曾有の今の時、私たちは何を見ているのでしょうか。
 テレビでは相変わらず、グルメ、旅、クイズばかり流し続けている。私たちの関心はその程度かでしかないのか。米国のウオ―ルストリートを占拠しよう、との運動が「1%の富裕層が99%の貧困者を作っている」社会への抗議と変革を目指すように、私たち日本人は格差の是正、反原発、と命を脅かすものをよく観て、立ち上がることが必要ではないだろうか。 

 ご感想は、ももちゃんのおと にどうぞ。

ももちゃんの一分間説教バックナンバー

ももちゃんの一分間説教No.7、8販売のご案内


戻る