|
2011年5月1日(日) 復活節第2主日 ヨハネによる福音書20章19-31節
災害で肉親も何もかも失くし、避難生活されている人々を立ち上がらせるのは何だろうか。訪ねた人が次のように言っていました。「よく来てくれてありがとう。一生忘れません。」と生まれて初めて言われた、と。従って、それは人との繋がりかもしれません。 イエスを十字架刑死で失い、絶望の淵にあった弟子たちを甦らせたのは、亡くなったイエスとの生きた交わりではないだろうか。イエスは弟子たちの思いでの中に生きて、彼らを導き、励まされる。「私は復活であり、命である。」イエスの言葉を聴いて、弟子たちは立ち上がったのである。 |
2011年5月8日(日) 復活節第3主日 ルカによる福音書24章13-35節
人を前向きにさせるのは何だろう。たとえば、凍えるような冬、耐えられるのは必ず春が来る、と言う希望の言葉はその一つであろう。今、避難所で生活されている方にとっては。また、中東で現政権への激しい弾圧にもかかわらず、反体制デモを続けている人たちには、やはり、光や朝が必ずやって来る、の言葉であろう。 エルサレムから逃れた弟子たちにとっても、イエスが何者であるかを、理解したとき、再び、エルサレムへ向かわせたのであった。つまり、イエスが敗北して殺されたのではなく、神から遣わされ、死の淵に沈んでいた人々を救うメシアであった、ことを聖書の学びから分かったのであった。そのメシア、イエスを再び、人々に伝える力をいただいたのであった。 私たちのミサも、そのイエスと出会い、世界を新しく造り変えるために、世へと出て行くためなのである。 |
2011年5月15日(日) 復活節第4主日 ヨハネによる福音書10章1-10節
復活者イエスは羊飼いとなって、迷う羊である私たちに声を掛け、連れだし、青い牧草地へと導かれる。羊である私たちは、とことん、命までかけて私たちと共にいてくださった主イエスのみを信頼し、最後まで、聴き従わなければ、牧草地に辿り着くことは出来ない。聖書に聴き、ミサを祝うのはそのためである。そして、派遣された私たちは、イエスと同じく、他者の隣人になることに他ならない。 |
2011年5月29日(日) 復活節第6主日 ヨハネによる福音書14章15-21節
イエスは私たちを独りぼっちにはしない。聖霊、弁護者、真理の霊として私たちと共にいてくださる。それは、黙想や祈り、ミサ、聖書、人との交わりを通して実感できる。私たちは、道を誤らない、死の陰を行く時も恐れない。震災後、新しい時代になろうとしている今、イエスのみ言葉を聴いて前へ進もう。 |
|