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2010年12月5日(日) 待降節第2主日 マタイによる福音書3章1節-12節
2000年前、洗礼者ヨハネは荒野から、回心を呼び掛けた。 それは、現代に生きる我々にも向けられている。私たちはその叫び声に心を動かされるだろうか。戦争、暴力、飢餓、病気、貧困、等で苦難を強いられている多くの人々の声を聴いているだろうか。 ヨハネは今もなお叫び続けている。まず、耳を傾けよう。クリスマスの準備はそこから始まる。 |
2010年12月12日(日) 待降節第3主日 マタイによる福音書11章2節-11節
洗礼者ヨハネの回心への叫びをイエスは聴かれた。それは、弱く小さくされた人々との連帯であった。ヨハネを取り巻いていた情勢では政治家や宗教家、市井の力ある者は自己の保身と利益獲得に奔走し、貧しい人や病人たちを排除し見捨てていたのだった。 イエスは見捨てられた人々の中にいた。自ら家を出て、頼るものを持たず、病人たちには手を貸し、貧しい者たちにはパンを分け合い、最後は盗賊といっしょに十字架につけられたのであった。 クリスマスに羊飼いたちに告げられた「今日、あなたがたのために救い主が生まれた」の言葉がイエスの周りに実現したのであった。 |
2010年12月19日(日) 待降節第4主日 マタイによる福音書1章18節-24節
イエスは革新的であった。人間が排除した者たちと神がおられることを身をもって示された。その新しさについて行くには、過去、現在を断ち切らねばならない。ひきずっては飛躍できない。ヨゼフへの夢の告げは、それを語っている。それまでの常識的働きを捨てて、聖霊の働き、即ち、革新的な働きを受け入れなさい、と。 イエスの誕生は私たちをヨゼフの決断にならうよう招いている。 |
2010年12月25日(金) 主の降誕(夜半) ルカによる福音書2章1節-14節
救い主の誕生、それは私たち自身の誕生でもある。キリスト者は正義と平和を求め続けなければならないのであるが、いつのまにか、日常に埋没し、それらがめんどくさくなる。そんな私たちの目を覚まさせるのがクリスマスだ。何故ならば、世界の人々の悲惨を思わずにはいられないから。自分だけクリスマスを楽しんでいいのか、との声が聴こえてくるのだ。 |
2010年12月26日(日) 聖家族 マタイによる福音書2章13節-15節、19節-23節
救い主の徴が赤ん坊!ということは、人間を救う、解放するのは「いのち」を守り、育てることなのだ。両親は子を必死に守る、と同様、私たちは「いのち」を大切にするよう、呼ばれている、何故ならば、地球という家族を守る「聖家族」だから。 |
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