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2010年5月2日(日) 復活節第5主日 ヨハネによる福音書13章31節-33a節、34節-35節
イエスへの信従はイエスとの約束となる。イエスは私たちを闇から光へ、奴隷から自由へ、偽りから真理へと導いてくれた。それゆえに、過去の生き方から新しい生き方、イエスの歩かれた道を辿ることをイエスと約束するのだ。約束には責任が伴う。責任とは「これから苦労することがわかっていても、後悔しない」ことと言われる。 イエスの道を、今日の福音では、「互いに愛し合う」ことと言う。更に、ヨハネの手紙には説明されている。「世の富を持ちながら、兄弟が必要な物に事欠くのを見て同情しない者があれば、どうして神の愛がそのような者の内にとどまるでしょう。子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう」 改めて、イエスとの約束をしよう。 |
2010年5月9日(日) 復活節第6主日 ヨハネによる福音書14章23節-29節
イエスのいない今、キリスト者はイエスを救い主、「道、真理、命」と信じ従えるのは如何にしてか。それは、弁護者と言われる「聖霊」の働きによる、と言うのが今日の福音です。弟子たちの姿をもう一度振り返るならば、まず、呼ばれたこと、旅行の同伴、途中様々な誤解、イエス刑死直前での逃亡、そして、世界宣教、それらはみな聖霊の働きによるものとしてしか考えられない出来事ではないだろうか。その後の教会の歴史もまた、然り。過ち、欠けの多い歴史ながら、時々、小さい光を放つ教会、そこには、聖霊があるとしか言えない。 聖霊はまさに蛍の光ではないだろうか。 |
2010年5月16日(日) 主の昇天 ルカによる福音書24章46節-53節
イエスは天に挙げられた。それは、イエスを「王」と呼び、従い、その生涯を証しすることを意味する。イエスは「先立って」行かれる、小さくされた人々が平等に生きられるように、十字架に向かって前を歩かれる。沖縄の辺野古、普天間基地の移設予定地、その海中の測量を阻止するため、櫓に身を挺してしがみついている現地の女性達の姿が重なる。人間と海の命を守るために。 私たちも彼女らの後に続こう、イエスが前を歩いている。 |
2010年5月23日(日) 聖霊降臨の主日 ヨハネによる福音書14章15節-16節、23b-26節
イエスは弟子たちに天へ帰ったら、弁護者、助け主としての聖霊という姿をとって現れ、弟子たちと「共に、おいて」居てくださると言う。 つまり、聖霊はどこか遠くにいるのではなく、私たちと「共に、内に」居る。声をかけ、声が聴こえてくるのが聖霊なのだ。聖霊は私たちを導き出す方であり、同時に、私たちの心の奥から呻きを発する、弱さを知り尽くした方と言える。だから、大船に乗っているのだ、弱さを丸ごと受け止めた上になお私たちを外へ派遣されるのだ。 さあ、聖霊の息吹を受けて神の国目指して旅立とう。 |
2010年5月30日(日) 三位一体の主日 ヨハネによる福音書16章12節-15節
キリスト教では神の呼び掛けに応えることを信仰と呼ぶ。 神の呼び掛けは、イエス・キリストの生涯において私たちに示された。しかし、それを真理として悟るには聖霊の働きが必要であった。従って、神の呼び掛けは三位一体的視点から明らかになる。 口蹄疫の問題、格差・貧困問題、辺野古問題、NPT(核不拡散条約)問題を三位一体的視点から見てみよう。私たちの取るべき行動は示される。 |
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