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2008年12月7日(日) 待降節第2主日 マルコによる福音書1章1-8節
今日も「回心せよ」との荒野からの声が聞える。金融危機に端を発した不況は、派遣等の非正規雇用社員は失業、退寮、ホームレス化の危機にある。 幸い、そうでない私たちは彼・彼女らの叫びに、どう対応できるだろうか。取りあえずは、持てるものの分かつことからであろう。そして、政治経済の変革。荒野の声は、具体的に動くよう求めている。 |
2008年12月14日(日) 待降節第3主日 ヨハネによる福音書1章6-8節、19節-28節
先日、非キリスト者の人から、アフガン等での空爆で民間人が多く犠牲になっているがキリスト者であるあなたはどう思っているかと、質問された。キリスト者と名乗っている私ははっとした。人々はキリスト者の正体を知りたがっている。 キリスト者は口先では愛、平和を言っているが、それは本当なのだろうかと。 洗礼者ヨハネへの尋問もそうではないか。人々を救うキリストであるかどうか。ヨハネの答えは、キリストの到来を告げる者、であった。 わたしたちキリスト者はキリストそのものではない。キリストに出会い、生かされた者となったことを、即ち、喜びを伝える者なのである。人々は期待している。 キリスト者であるあなたは「誰ですか」。 |
2008年12月21日(日) 待降節第4主日 ルカによる福音書1章26節-38節
神は私たちを導く。マリアの人生は神の呼びかけによって、変わった。私の人生から神と共にある人生へ。即ち、神は人を愛される、マリアも人を愛する、他者と共に生きることへと。具体的には、イエスを育てることに他ならない。 マリアは無力さに躊躇した、けれど、委ねた、お任せした。「この身に成りますように。」 Let it be!! 神は私たちを招かれる。私たちも応えよう。Let it be!! |
2008年12月25日(木) 主の降誕(夜半) ルカによる福音書2章1節-14節
救いを待ち望んでいる人は誰だろうか。差別、暴力、貧困、病、等で押し潰されている人たちではないか。 恵まれて、教会のクリスマスミサに出掛けられる人は「救い」ではなく、ケーキを待ち望んでいるのではないか。 イエス・キリストの誕生は、マザーテレサの言う、苦しみ悲しみに喘いでいる人々と「関わろう」とする神の熱情を言い表そうとしているのではないか。 「無関心」、愛のない私たちを立ち上がらせようとする神の思い、それがクリスマスではないだろうか。 |
2008年12月28日(日) 聖家族 ルカによる福音書2章22節-40節
クリスマス明け、悲劇が飛び込んできた。イスラエルの空爆により、200人以上の死者。慄然とする、人間の蛮行に。シメオンやアンナが待ち望んだ「救い主」はこの出来事にどう対処してくれるのか。何もしてくれないだろう。イエスを救い主として信じる私たちはどうすればよいのか。 無力だけれども、倦まず弛まず平和を訴え、身近なところから実現し続けるしかないのでは。シメオンやアンナがそれを待ち続けたように。 |
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