ももちゃんの一分間説教



今週の一句
秋風や 打ち寄せる波 一人浮き

―もとゐ―


 2008年9月7日(日)
 年間第23主日

 マタイによる福音書18章15-20節

18,15 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。
18,16 聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。
18,17 それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。
18,18 はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。
18,19 また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。
18,20 二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」

イエスの神の国運動には、この世で虐げられ、顧みられなかった人々が招かれた。

彼・彼女たちはイエスの呼びかけに、目覚め立ち上がった。そして、みんなが尊重され、共に生きる神の国運動に加わった。しかし、個々には弱さを持っていた。

運動の継続には、互いの受け入れ、ゆるし、励ましが欠かせない。そのために、メンバーは祈った。「わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。」と。

教会の祈りは互いの弱さを認め、受け入れる時である。 
今週の一句
往来の 激しき国道 山の萩

―もとゐ―


 2008年9月14日(日)
 十字架称賛

 ヨハネよる福音書3章13-17節

3,13 〔そのとき、イエスはニコデモに言われた。〕天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。
3,14 そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。
3,15 それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。
3,16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
3,17 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。

 自民党総裁選挙、事故米騒動、等々。世界はどこでも自己利益追求に喧噪している。破滅に突き進んでいる。そんな世界と人間に神は永遠の命を与えようとされる。それは、イエスを人生の指針とすることによって。私たちは安心立命を得たい、が世界に執着し、不安でしょうがない。神からのありがたい招きに応えよう。

 イエスに道案内してもらおう。
今週の一句
兆しなし 現れにけり 曼珠沙華

―もとゐ―


 2008年9月21日(日)
 年間第25主日

 マタイによる福音書20章1-16節

20,1 〔そのとき、イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。〕「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。
20,2 主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。
20,3 また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、
20,4 『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。
20,5 それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。
20,6 五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、
20,7 彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。
20,8 夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。
20,9 そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。
20,10 最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。
20,11 それで、受け取ると、主人に不平を言った。
20,12 『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』
20,13 主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。
20,14 自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。
20,15 自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』
20,16 このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」

 神はふさわしくないにもかかわらずこの世界を愛している。

 その神はこの世では不当にしか扱われない、夕の5時まで雇われなかった人々を正当に扱われる。それは、正当に扱われていると自惚れている者たちへの忠告だ。この世で恵まれている人々には責任がある。与えられた恵みを分かち合うことがそれだ。朝早く雇われた者たちは、それを感謝し、そうでない人々に心を配ることだ。

 私の富はわたしのためのものではない、貧しい人に分かち合うためのものなのだ。
今週の一句
紅に 抱かれし里 曼珠沙華

―もとゐ―


 2008年9月28日(日)
 年間第26主日

 マタイによる福音書21章28-32節

21,28 〔そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに言われた。〕「ところで、あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。
21,29 兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。
21,30 弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。
21,31 この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。
21,32 なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」

 聖書における信仰は神との契約を守ること。即ち、神からの命と幸いをいただいたから、神のことばを忠実に行うということ。従わなければ、幸いは取り上げられるのだ。

 ユダヤ教の指導者たちには責任がある。その責任とは、すべての人が幸いになること。夕方遅く雇われた人には正当に賃金を払わなければならない。

 しかし、彼らは娼婦や徴税人を不当に遇した、汚れた人と呼び、貧しい生活を強いたからこそ、神の祝福は取り上げられるのだ。

 神からいただいた幸いを多くの人に分かち合おう。


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