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2008年7月6日(日) 年間第14主日 マタイによる福音書11章25-30節
「疲れた人」「重荷を負う者」とはイエスの心を強く動かされた「飼主のいない羊」と言われた人たちのこと。 彼らは収穫物の7〜8割を収奪されたガリラヤの農民たち、ローマ、ヘロデ、神殿からの重税に土地を奪われ、流浪している極貧の人々であった。 イエスの招きの言葉は、新しい生き方への呼びかけ、即ち、奪い合う生き方から与え合う生き方をしようじゃないかの呼びかけだ。私の軛は、この世の支配者の軛より軽いというのはその意味だ。 現代の私たちへの呼びかけでもある。 |
2008年7月13日(日) 年間第15主日 マタイによる福音書13章1-23節
イエスはわたしたちを新たな生き方へ招く。「持つ」生き方ではない「ある」生き方へ。 しかし、他の考えや艱難、迫害、思い煩い、富の執着から以前の生を抜け出せないままが実情だ。地球温暖化問題にもそうと言える。持っているものを放棄できないのだ。 にもかかわらず、イエスは呼びかけ続ける。私たちの心は揺れ動かされる。 |
2008年7月20日(日) 年間第16主日 マタイによる福音書13章24-43節
神はイエスを通して、御言葉を語り続ける。御言葉の良い実りは、私たちがその呼びかけに従うこと、即ち、不平等な社会を平等にすること、これが、信仰の実りだ。 派遣労働者等の問題は資本が利益を独り占めすることの結果だから、わたしたちは声を上げ、若年労働者が夢を持てるようにすることは信仰の実りとなるのだ。 |
2008年7月27日(日) 年間第17主日 マタイによる福音書13章44-52節
イエスは神に従い、この世界が誰をも大切にし、夢をかなえられる世にしようと、十字架刑死まで、命を懸けた。私たちも、いわゆる、あの世の幸い、天国を求めるのではなく、この世の正義と平和に懸けてゆきたい。一緒に、進みましょう。 |
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