ももちゃんの一分間説教



今週の一句
田を植えて 水に緑の 筋を書く

―もとゐ―


 2008年6月1日(日)
 年間第9主日

 マタイによる福音書7章21-27節

7,21 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。〕
7,22 かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇蹟をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。
7,23 そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』
7,24 そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。
7,25 雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。
7,26 わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚か者に似ている。
7,27 雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」

 イエスは私たちの人生に強固な土台を与えてくれる。

 それは、神、善人の上にも悪人のうえにも太陽を昇らせ、雨を降らせてくださる方。明日のことを思い煩はなくても、すべてを備えてくださる方。即ち、愛を中心に据えたネットワークに生きることを。

 互いに繋がり合うことによって、生かし生かされる人生にイエスは私たちを招かれるのである。
今週の一句
紫陽花の 思いのままに 色移り

―もとゐ―


 2008年6月8日(日)
 年間第10主日

 マタイによる福音書9章9-13節

9,9 〔そのとき、〕イエスは通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。
9,10 イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。
9,11 ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。
9,12 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
9,13 『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。

 イエスは出会った生きるのに困難な人々と関わられる。

 収税所に座っていたマタイ、その仕事上、人々から蔑まれ、憎まれ、排除されていた。マタイには生きることは辛かった。彼にイエスは声をかけ、同じく、ユダヤ教から「罪人=律法を守れない人々」と小さくさせられた者たちと食事を共にした。それによって、イエスは彼らに神が共にいることを示した。

 神は人を分け隔てる方ではない、むしろ、人間が裁き、分けることを悲しんでおられる。

 神は私をもその宴会に呼んでくださった、だから、私も困難にある人たちと手を取り合いたい。 
今週の一句
梅雨晴れ間 家路行く人 陽に染まり

―もとゐ―


 2008年6月15日(日)
 年間第11主日

 マタイによる福音書9章36-10章8節

9,36 〔そのとき、イエスは、〕群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。
9,37 そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。
9,38 だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」
10,1 イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。
10,2 十二使徒の名は次のとおりである。まずペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、
10,3 フィリポとバルトロマイ、トマスと徴税人のマタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ、
10.4 熱心党のシモン、それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダである。
10,5 イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。
10,6 むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。
10,7 行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。
10,8 病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。

 6月8日には、また、怖い事件が起きた。

 生きるのに苦しんでいる人がたくさんいる。

 イエスはそれらの人々を目の当たりしたとき、心が強く動かされた。そして、人々に呼びかけた。いっしょに、それらの人々と共に生きよう、と。

 今、また、イエスは私たちに呼びかける。生きがたい人々の中へ出掛けよう。あなたがたは幸いをただで得たのだから、ただで分かち合え、と。 
今週の一句
梅雨空を 憂きともしない アガパンサス

―もとゐ―


 2008年6月22日(日)
 年間第12主日

 マタイによる福音書10章26-33節

10,26 〔そのとき、イエスは使徒たちに言われた。〕「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。
10,27 わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。
10,28 体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
10.29 二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。
10.30 あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。
10.31 だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」
10.32 「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。
10.33 しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」

 イエスは生きるのに困難な人々と共に生きようとされた。そして、声を上げたが、時の権力者たちによって惨殺された。そもそもイスラエルの神がそうであった。

 出エジプト記によればヒブル人という権利を持たない人々の側にいられたのだった。しかし、それは、皇帝ファラオとの戦いとなった。支配者たちはヒブル人を解放したくなかった、いつまでも、奴隷として所有し続けたかった。

 現代日本では派遣労働者を非人間的扱いし、希望のない、まさに奴隷生活を強いている。いくら、批判されようが、支配者たちは改めようともしない。むしろ、強化し続けている。

 イエスを信じるとはこれらの人々と共にあろうとすることだ。力を与えたまえ。
今週の一句
アガパンサス 青紫の 音奏で

―もとゐ―


 2008年6月29日(日)
 聖ペトロ・聖パウロ使徒

 マタイによる福音書16章13-19節

16,13 イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。
16,14 弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」
16,15 イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」
16,16 シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。
16,17 すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。
16,18 わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。
16,19 わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」

 6月も終わり、色々あった。秋葉原事件、地震、台風の被害、イラク・アフガンでの戦闘、食品偽装事件、北朝鮮拉致事件問題、等々。混迷する現代社会で、イエスを救い主として信じることはどういうことなのか。教義を信じて礼拝に与り、天国へ行くことではないだろう。イエスの生き方に、混迷する社会を平等で平和な社会に変える神の意志を見て、それに倣うことではないだろうか。イエスは共に生き、仕え、分かち合った。

 そこに人生の指針を見よう。 


戻る