ももちゃんの一分間説教



今週の一句
土用の日 コンビニのうな弁 一人食う

―もとゐ―


 2007年8月5日(日)
 年間第18主日

 ルカによる福音書12章13節-21節

12,13 〔そのとき、〕群衆の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」
12,14 イエスはその人に言われた。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」
12,15 そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」
12,16 それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。
12,17 金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、
12,18 やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、
12,19 こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』
12,20 しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。
12,21 自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」

 イエスは「主の祈り」のなかで隣人を覚えようと言った。私たちが周りの、飢えた人、借金でどうにもならない人々のことを思い出せと。

 今日のたとえ話の金持ちは、うらやましい人だ。彼なりに一生懸命働いた、その結果、豊作になり、倉に収めきれないほどの財産を得た。しかし、残念なことに、過労のせいか死んでしまった。折角、贅沢に遊び暮らせるようになったのに。でも、財産を残したから立派な人と賞賛するのがこの世界ではないか。

 ところが、イエスは神さまはそう思わないとおかしなことを言う。何故か、今の資本家と同じように、当時の大地主は、過酷な税金や借金の取り立てで、まさに、農夫を飢えさせ、土地を奪い、流浪化させる元凶だった。(日本の『おしん』を思いだそう。)だから、その儲けは農民たちから搾り取ったのである。彼には、隣人は見えなかった、自分の欲望を満たすことばかりであった。そこをイエスは神には認められない、と言っている。

 イエスにとって、神にとって、人生は人と共にあることなのだ。構造悪におらざるを得ない私たちだが、悪を減らすために、隣り人になって行きましょう。 
今週の一句
炎暑にも とんぼの飛来 声を挙げ

―もとゐ―


 2007年8月12日(日)
 年間第19主日

 ルカによる福音書12章32節-48節

12,32 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。
12,33 自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。
12,34 あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」
12,35 「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。
12,36 主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。
12,37 主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる。
12,38 主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。
12,39 このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒がいつやって来るかを知っていたら、自分の家に押し入らせはしないだろう。
12,40 あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」
12,41 そこでペトロが、「主よ、このたとえはわたしたちのために話しておられるのですか。それとも、みんなのためですか」と言うと、
12,42 主は言われた。「主人が召し使いたちの上に立てて、時間どおりに食べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人は、いったいだれであろうか。
12,43 主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。
12,44 確かに言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。
12,45 しかし、もしその僕が、主人の帰りは遅れると思い、下男や女中を殴ったり、食べたり飲んだり、酔うようなことになるならば、
12,46 その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、不忠実な者たちと同じ目に遭わせる。
12,47 主人の思いを知りながら何も準備せず、あるいは主人の思いどおりにしなかった僕は、ひどく鞭打たれる。
12,48 しかし、知らずにいて鞭打たれるようなことをした者は、打たれても少しで済む。すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される。」

 イエスは人と共にいるよう、呼びかけられる。

 私たちは、神様から任命されている。神様の思いを広めるようにと。神様の思いとは、生きとし生けるものが尊重され、大切にされることだ。あの金持ちは、その富や力が自分のためにあるのではなく、そのために神様から与えられ、活用することを知らなかったのだ。祭司やレビ人はやはり自分が襲われ傷ついた人を介抱するためにその地位を与えられたことを知らなかった。マルタはマリアと共にいるように召されたことに気づかなかった。

 主の祈りを祈る時も同じだ。

 私たちは互いが隣人になるように、神様がその生命をお与え下さった。神様はその尊い使命をこんな小さい私たちに託された。その有り難さに喜んで応えて行きましょう。
今週の一句
鈴虫や 初鳴きいそぎ 灯り消し

―もとゐ―


 2007年8月19日(日)
 年間第20主日

 ルカによる福音書12章49節-53節

12,49 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。
12,50 しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。
12,51 あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。
12,52 今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。
12,53 父は子と、子は父と、/母は娘と、娘は母と、/しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、/対立して分かれる。」

 人は嫉妬深いものだ。神様はイエスをとおしてご自分が小さくされた人を大切にされることを明らかにした。そうしたら、自惚れていた人々が反発した。嫉妬からの憎悪は激しい。人は自分だけを大事にして欲しいと思う。

 イエスは「自分だけ」から隣り人に目をひろげるように人に呼びかけた。人は隣り人として生きるように神様が命を与えられたとイエスは教えられた。

 私たちは「自分だけ」から脱皮しよう。そこには広い広い世界が待っている。
今週の一句
暑さ避け シャチショーの飛沫 被り行き

―もとゐ―


 2007年8月26日(日)
 年間第21主日

 ルカによる福音書13章22節-30節

13,22 〔そのとき、〕イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでおられた。
13,23 すると、「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と言う人がいた。イエスは一同に言われた。
13,24 「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。
13,25 家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、あなたがたが外に立って戸をたたき、『御主人様、開けてください』と言っても、『お前たちがどこの者か知らない』という答えが返ってくるだけである。
13,26 そのとき、あなたがたは、『御一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです』と言いだすだろう。
13,27 しかし主人は、『お前たちがどこの者か知らない。不義を行う者ども、皆わたしから立ち去れ』と言うだろう。
13,28 あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが神の国に入っているのに、自分は外に投げ出されることになり、そこで泣きわめいて歯ぎしりする。
13,29 そして人々は、東から西から、また南から北から来て、神の国で宴会の席に着く。
13,30 そこでは、後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある。」

 救いの門は開かれている。しかし、閉められる時がある。

 人生の幸いもそうである。幸いは目の前にある。しかし、消える時がる。

 隣り人になるチャンスはいつもある。しかし、自己中心的に生きている時、チャンスは消えている。

 イエスはいつも呼びかけている。けれど、他の声に従っているとき、幸いはその門を閉じている。

 チャンスを逃さないように。イエスの招きに飛び込んで行こう。 


戻る