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2007年2月4日(日) 年間第5主日 ルカによる福音書5章1節-11節
イエスの舟は航海中。 イエスとの出会いは私たちの目を開かせてくれた。それは、この世の価値、出世、富に生きるのではなく、神の与える幸い、即ち、ゆるしと愛に生きることへと。 しかし、それへと生きるには並大抵ではない。人間の経験、能力内では無理だ。例えば、私に不幸、不運があったとき、それでも、人をゆるしたり、愛したりはできないだろう。 イエスは十字架上でも人をゆるし愛したであろうか。ルカ福音書にはゆるしたと書かれている。ルカは十字架上のイエスに神を見出したのだろう。そして、その神が人々をゆるしている姿を見出したのだろう。イエスの上に大いなる神の働きがあったのだ。 私たちもイエスのように生きることを望みたい。 神の働きを祈ろう。 |
2007年2月11日(日) 年間第6主日 ルカによる福音書6章17節、20節-26節
イエスの舟は航海中。 イエスの行く先々は、飢えた人、病む人、泣く人々で一杯であった。 イエスはそんな彼・彼女たちに何とかして「幸い」を伝えたかった。そして、声をかけ、パンを分かち、手当をされた。神はあなたたちを見捨てない、そばにいる、と身をもって示された。他方、彼・彼女らに無関心な、否、差別し虐げている富者には強く叱責した。それによって、ユダヤ教からの迫害を受けても、イエスは止めなかった。 現代世界では、人の悲惨さはもっと深刻になっている。私たちの関心もイエスと同じように、受難の人々へ向けたい。 イエスの舟はそういう人々を乗せて、苦難の航海を続けて行く。 |
2007年2月18日(日) 年間第7主日 ルカによる福音書6章27節-38節
イエスは苦難を分かち合う人々を乗せて航海中。 イエスは貧しい人々は「幸い」と宣言した。それは、寄る辺のない人々に神がついていることを言いたかったのである。 イエスは出会う人々には「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」をモットーに関わった。即ち、その人の立場になって関わったのだ。飢えた人にはパンを、病者には癒しを、孤独な人には友となって。では、イエスは「敵」、自分を裏切った者、裁いた者、暴力を振るった者、十字架に架けた者たちに出会ったとき、どうしたのか。「ゆるし、親切にし、祈った」つまり、愛したのではないか。神は人となって、人が望むことをしてくれたのではないか。 富者や権力者も同じように、飢えた人、貧しい人となって考えたとき、どう関われば見えてくるのではないだろうか。そうすれば、憎しみも生まれないだろう。私たちは苦難にある人々を思いいたそう。関わりが始まるだろう。 |
2007年2月25日(日) 四旬節第1主日 ルカによる福音書4章1節-13節
イエスは航海中。 航海にあたって、人々は囁きかける。もっとかっこよくなったらどうか。人から褒められるようになれないか。人気を得た方がいいんじゃないか、と。 しかし、イエスはかっこわるかった。貧しい人々を前に涙するしかなかった。病人には手を伸すしかできなかった。十字架からは降りて来られなかった。けれど、そのイエスに出会った人々は神の愛を見出し、生きる勇気と希望を見出した。 私たちも人から褒められることを求めるのではなく、かっこ悪くても、人々に希望を与えるようになりたい。 |
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