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2006年11月5日(日) 年間第31主日 マルコによる福音書12章28節b-34節
イエスは舟。 イエスはいつも私たちの目を、内から外へと向けさせる。 子どもや女性、目の見えない物乞いのバルティマイへと。自分の命、自分の救い、自分の永遠の命、自分の神の国を心配していると、弱い立場の人のことを思えとイエスは導く。 なぜなら、イエスは心底、神を信じ切っている、つまり、神のうちに生きている、だから、私たちに呼びかける、神は私たちをまず愛してくださるから、何も心配することはないよ、安心して隣人への奉仕をしようじゃないか、と。 神への愛とは、イエスのように全て委ねること。「心を尽くして」とは「心のすべてから」信頼すること、神が既に愛していてくれるのだから。 |
2006年11月12日(日) 年間第32主日 マルコによる福音書12章38節-44節
イエスは舟。 イエスは私たちを「神への愛と隣人への愛」に招かれる。 「神への愛」は二通りあった。一方は、神の掟を一生懸命行うことであった。しかし、それによって、神と人の前で自己を誇るようになってしまった。そして、寡婦のような小さい立場の人を顧みず、むしろ、苦しめていた。「神への愛」は自分を自惚れる、自己愛へと変ってしまった。また、金持ちは金に頼り続けた。ここでも、金が自分を支えるものであったから。 他方、無力な人は出来ることを精一杯やった。持っている物をすべて、全部を献げた。持ち物ではなく神が支えてくださるから。イエスは命を献げた。 寡婦のようにわたしたちにも出来ることは一つある。精一杯献げよう。 |
2006年11月19日(日) 年間第33主日 マルコによる福音書13章24節-32節
イエスは舟。 航海は続く。しかし、環境汚染はますます進み、核戦争の脅威も増している中で、舟の行方はどうなるのだろうか。イエスは警告する。破滅に手を拱いて待っていてはいけないと。なぜなら、総決算のとき、後悔するだろうから。 生命を大事にしたい、守りたい、特に、未来の子どもたちの。そのためには、核爆弾をなくし、環境を取り戻したい。寡婦のように神において出来る限りのことをする。それが、終末を前に生きる者の姿ではないか。 舟は他の人々を巻き込んで、生命を救う航海を続けるのだ。 |
2006年11月26日(日) 王であるキリスト ヨハネによる福音書18章33節b-37節
イエスは舟。 生命を大切にすることを第一とする、イエスの航海は続く。しかし、生命より、力、富、快楽を第一にする者たちからはその航海が邪魔される。なぜなら、後者は他者の生命は自分に利益をもたらす限り価値があるとしているからだ。真理は偽り者にとって許し難い。偽りを露わにされるからだ。 真理を知る者は自由になる。隠す必要がないからだ。ありのままで生きられるのだ。 イエスは命をもって私たちの偽りの縄目を解いてくれた。真理に生きよう、生命を守ろう。 |
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