ももちゃんの一分間説教




今週の一句
炊き出しの 開始待つ間の 秋の月

―もとゐ―


 2006年9月3日(日)
 年間第22主日

 マルコによる福音書7章1節-8節、14節-15節、21節-23節

7,1 〔そのとき、〕ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちが、エルサレムから来て、イエスのもとに集まった。
7,2 そして、イエスの弟子たちの中に汚れた手、つまり洗わない手で食事をする者がいるのを見た。
7,3 ――ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、昔の人の言い伝えを固く守って、念入りに手を洗ってからでないと食事をせず、
7,4 また、市場から帰ったときには、身を清めてからでないと食事をしない。そのほか、杯、鉢、銅の器や寝台を洗うことなど、昔から受け継いで固く守っていることがたくさんある。――
7,5 そこで、ファリサイ派の人々と律法学者たちが尋ねた。「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか。」
7,6 イエスは言われた。「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。『この民は口先ではわたしを敬うが、/その心はわたしから遠く離れている。
7,7 人間の戒めを教えとしておしえ、/むなしくわたしをあがめている。』
7,8 あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。」
7,14 それから、イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。
7,15 外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」
7,21 中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、
7,22 姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、
7,23 これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。」

 イエスは舟。

 イエスこそ豊かな人生に導いてくださる方と信じて、乗船しました。

 乗船した人々は多種多様でした。なかには、自分たちは乗船するには最もふさわしいのだ、その資格があると主張して、他の乗客に自分らの行動を見習えと強要する者たちが出て来ました。

 イエスは悲しくなりました。この舟は共生の舟だ、にもかかわらず、どうして、人は裁き合い、人の上に立ちたがるのだろう、と嘆きました。

 イエスは彼らに語りかけました。舟に引き上げたのは私じゃないか、この舟では悪意で人を見るのではなく、私の眼をとおして互いを視て欲しい。

 神が私を視てくれたように、周りの人を視よう。  
今週の一句
いわし雲 地上の焦熱 忘れられ

―もとゐ―


 2006年9月10日(日)
 年間第23主日

 マルコによる福音書7章31節-37節

7,31 〔そのとき、〕イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた。
7,32 人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。
7,33 そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。
7,34 そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である。
7,35 すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。
7,36 イエスは人々に、だれにもこのことを話してはいけない、と口止めをされた。しかし、イエスが口止めをされればされるほど、人々はかえってますます言い広めた。
7,37 そして、すっかり驚いて言った。「この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。」

 イエスは舟。

 乗船の資格を問う人々がいた。その上、彼らははなからある人々を乗船拒否し、置き去りにしていた。というのは、彼らは宗教上その人々を「罪人」と呼び、共同体から排除していたから。その人々には病人も入っていた、病気は神の罰と考えられていたから。

 しかし、他方、病人たちを舟に乗せようとする人々もいた。彼らは病人をイエスのもとへ「連れて来た」のであった。

 イエスは「連れて来られた」病人を悪しき心の人々、伝統にしがみついている人々の神から「連れ出し」、桎梏を「開かせ」、全身を「解かれた」のだ。あなたたちこそ、真っ先に舟に乗りなさい、神はあなたたちの神だ、と。

 既に、舟に乗せていただいた私たちは、困難にある人々を顧みるよう呼ばれている。イエスという舟のあることを伝える使命が、私たちには与えられているのだ。  
今週の一句
大根の 種蒔く上に そっと土

―もとゐ―


 2006年9月17日(日)
 年間第24主日

 マルコによる福音書8章27節-35節

8,27 〔そのとき、〕イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。
8,28 弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」
8,29 そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたは、メシアです。」
8,30 するとイエスは、御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた。
8,31 それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。
8,32 しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。
8,33 イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」
8,34 それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
8,35 自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。

 イエスは舟。

 イエスの舟は人生は素晴らしいと宣言し、航海を続けて行った。人々は続々と乗船してきた。その舟の中で兄弟愛を持って生きることに人生の喜びを感じていた。

 ところが、先に乗船した者のうちに我こそはリーダーだと勘違いする者が出て来た。いずれは、イエスから莫大な報償が与えられるのではないかという誘惑にかかり始めた。

 そんな彼らにイエスは諭された。この航海は今は順調だ、しかし、やがて、必ず、危機が来る。天変地異、紛争、飢餓、病気によって乗客全員の命が危険に晒される。その時こそ、わたしたちの意義がある、一目散に舟を離れて逃げて行くのか、それとも、小さき人々と共に居続けるのか、私は後者を選びたい、あなたたちはどうか。

 イエスの目線はいつも小さき者たちに向かっていた。それに較べ、俺たちは自分ばかりだ、と彼・彼女らは気付いたことだろう。このイエスを救い主としてついて行くことを改めて決意しただろう。  
今週の一句
ペダル踏み 川風揺れる 彼岸花

―もとゐ―


 2006年9月24日(日)
 年間第25主日

 マルコによる福音書9章30節-37節

9,30 〔そのとき、イエスと弟子たちは〕ガリラヤを通って行った。しかし、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。
9,31 それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」と言っておられたからである。
9,32 弟子たちはこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった。
9,33 一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。
9,34 彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。
9,35 イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」
9,36 そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。
9,37 「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」

 イエスは舟。

 航海は続く。人は滑稽だ、誤解、無理解を繰り返す。

 またもや、先に乗った乗客たちは一悶着。というのは、他の乗客らの世話をしてきたことを評価されたい、そして、自慢して、他者との優劣をつけたいとの欲が出て来たのだ。せっかく、世間という荒波で溺れかけていたのを、イエスの舟に助け出されたのも束の間、なんと、イエスの舟を世間にして再び争い合う始末。誰が一番か。

 そんな彼・彼女らにイエスは腰を下ろして語られた。よし、そんなに一番になりたいなら、仕える人、このような子どもたちが幸せになるよう世話する人になってください。誰が一番世話のできるか競争してみたら、と。

 言われた人々は、困惑した。イエスはなんてこと言うんだ。よりによって、一番偉い奴はうちの母ちゃんじゃないか。あの糞餓鬼どもを朝から晩まで大声張り上げ、髪振り乱して世話している母ちゃんなんだ。今までは散々バカにして見下していたのに。よーし、それなら母ちゃんをまねしてみよう。しかし、困ったぞ、そのためには仕事を続けられないし、遊びや飲みにも行けなくなるぞ。やっぱり、止めだ。一番になるのは止めた。

 今日もイエスは私たちの目線を変えようとされる。自分が人の上に立つことから、お陰様と感謝することへ。母ちゃんたちにありがとうと言おう。(※母ちゃんは例えです。) 


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