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2006年5月7日(日) 復活節第4主日 ヨハネによる福音書10章11-18節
イエスは良き羊飼い。 イエスの十字架事件、弟子たちをはじめ彼に出会った人々はそこに何を見出したのだろうか。 ある人々は、イエスが良き羊飼いであることを見出した。イエスは人と命がけで関わった。私のために死をも厭わなかった、と、姦通の現場で取り押さえられた女性はそう思っただろう。弟子たちは自分たちの裏切りには一声も発せず刑死して行ったイエスに、羊のため命を捨てる姿を見出したことだろう。 そのイエスに出会った彼・彼女らはまた宣教に命を懸けた。 今、私たちも命を捨てよう。小さくさせられた人々と共に生きるために。 |
2006年5月14日(日) 復活節第5主日 ヨハネによる福音書15章1-8節
イエスは招く。 イエスは私につながれ、留まれと呼びかける。あのサマリアの井戸の女性、彼女は生き難かった。頼っても頼っても不安、渇望、焦燥があった。イエスは彼女が頼るべきものを差し出された、ご自身を。裏切りの故に一切と手を切り、自己を責めていた弟子たちにイエスは呼びかけた、私につながれと。 また、私たちも孤独であったとき、イエスは訪ねてくれ声をかけられた、休みなさいと。 私たちは出かけよう、あなたを一人ぼっちじゃないよ、イエスがおられますよ、と呼びかけに行こう。 |
2006年5月21日(日) 復活節第6主日 ヨハネによる福音書15章9-17節
イエスは私たちを友と呼ぶ。 福音記者ヨハネは十字架の刑死に至るまでのイエスの姿に、私たちへの愛、友と呼ぶ関わりを見出した。そして、そのイエスにとどまれとヨハネは呼びかける。 しかし、そのイエスは特別な人、強い人、神的存在ではない。疲れ、喉を渇かし、宴会好きで、苦しむ人に出会えば、涙し、憤り、心を強く動かされ、ついには、罪人と並んで十字架にぶらさげられる人であった。 私たちはそのイエスに親しさを覚える。そして、可能性を与えられる。同時に深い深いつながりを覚える。 さあ、大船に乗って漕ぎだそう。苦しむ人から友と呼ばれるために。 |
2006年5月28日(日) 主の昇天 マルコによる福音書16章15-20節
イエスは私たちの王。 イエスは権力によって惨殺された。理由は、貧しい者や病人らの小さくさせられた人々と生きたから。弟子たちも、裏切りによって自らの小ささを知った。 しかし、イエスの自分たちへの限りない愛に気づいたとき、目が覚めた。彼・彼女たちは慰めと生きる勇気を頂いたことを。そのイエスはすべての人々、特に、小さくさせられた人々の王になって欲しい、その熱い思いは彼・彼女を駆り立てた、全世界へ。 私たちも、イエスから大事にされていることを思い起こそう。そして、伝えに行こう、イエスは王、友であることを。 |
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