ももちゃんの一分間説教 バックナンバー |
2005年3月6日(日) 四旬節第4主日 ヨハネによる福音書9章1-41節
手袋は人々を軽くする。 手袋は目の見えない人に出会った。彼は物乞いをしてやっと生きていた。 しかし、周りの誰も彼の悲しみ、苦しみに目を留めなかった。むしろ、自分たちの正しさを主張するため彼を引き合いに出してしていた。俺は目が見える、だから、正しい、それゆえ、尊敬されるに値する、それに、比べ、あいつは目が見えない、それはあいつが罪人だから、それゆえ、蔑まれて当然だ、という具合に。 悲しむ人、苦難にある人に目を留めるのはやっかいだし、しんどい、傷つくこともある、出来ることなら目を避けたい、見ないでいたい。ところが、いざ、自分がそのような立場になって、誰からも気にかけられなくなったとき、人を恨んでしまうのだ。つまり、手袋の欲しいとき、手袋はないのだ。 手袋をもらった目の見えない人は喜んだ。その喜び、手袋の有り難さを伝えようとした。けれど、手袋を味わったことのない人々にはわからなかった。手袋の良さを知るにはつけてみなければわからない。はめるには勇気がいる。今まで安住していたところから脱出するにも。 手袋はいつも目の前に置かれている。はめられるのを待っている。おそるおそるつけてみよう。きっと、新しい世界が開かれて行くよ。 |
2005年3月13日(日) 四旬節第5主日 ヨハネによる福音書11章1-45節
手袋は私たちの目を円くする。 友の死、親しい人の死、別れは辛い。特に不慮の死はそれを受け入れるには多くの時を必要とする。マルタとマリアは弟ラザロの死に直面し、心乱していた。「あなたがここにいれば、死ななかったのに」と、繰り言ばかりだった。多分、彼女らは孤立していたのだろう、泣き言を漏らす相手がいなかったのだろう。 手袋はそんな彼女らを受けとめ、耳を傾けた。そして、わたしの中に入って、こころ行くまでゆっくりしなさい。あなたのなかに生きたラザロと出会えるようになるまで。 この世的目では依然死んでしまったラザロであるが、手袋に包まれているならば、ラザロは生きていると見えるのだ。 手袋は外見ではちっちゃな手袋でしかない。しかし、中に入れば、それはそれは大きな際限のない手袋になる。ウクライナ民話の「てぶくろ」※@はそれを教えてくれる。中に入っちゃえば、見えないものが見えてくるようになる。「死」さえも乗り越えられるのだ。 ※@福音館書店、800円 |
2005年3月20日(日) 受難の主日 マタイによる福音書21章1-11節
手袋に包まれたとき世界が変わる。 手袋は人々が神のもとに生きるとき仲良くなると思い、顧みられない者たちと生命を分かち合って来た。ところが、それを良く思わない人々、特に、地位や富、力に固執する人たちからは拒否されていた。ついに、手袋はその牙城であるエルサレムに入る決意を持った。もちろん、自分が彼らに捕らわれ、殺されるかもしれないと予想しながら。言わば、敵意を持って迎える相手の懐に飛び込んで行ったのだ。にもかかわらず、手袋は子ロバという「無力」の象徴に乗って入城したのであった。手袋は臆することなく仲良くしようとの呼びかけをしたのだ。 敵意に対し敵意を持って臨むことの愚かさを、米国のイラク戦争が明らかにしたことを私たちは見ている。 サンテクジュペリの『星の王子様』に「仲よくするには、辛抱や決まり事が大事と。」「友愛には尊敬や信頼や忍耐という気高い心が伴う」の言葉を手袋は身をもって示した。 私たちもこの言葉をかみしめたい。 |
2005年3月24日(木) 聖木曜日 ヨハネによる福音書13章1-15節
手袋の望みは仲よくすることであった。 仲よくすることを妨げるのは、やはり、自分は人の上に立つという欲望だ。先日も、ある所で、ホームレスの方について話す機会があった。話しの後、一人の方が私はホームレスの方には厳しい見方をしています、と言われた。その方は精神障害者の作業所のボランティアをしているとのこと。 私たちが、「兄」や「ファリサイ派」である限り、即ち、上に立とうとして、「弟」や「律法違反者」を指図するのだ。それは、ホームレスの方について自分の価値観でしか見ていないからだ。私たちがホームレスの方に少しでも近づくには、上からものを言うのではなく、尊敬すること、つまり、仲よくしようという姿勢からではないか。 手袋は僕になった。それは、相手に説教するのではなく耳を傾け、尊敬し連帯しようとする姿勢ではないだろうか。 私たちもまず、耳を傾けましょう。 |
2005年3月25日(金) 聖金曜日 ヨハネによる福音書18章1節-19章42節
手袋は僕になって、手を差し出した。 この世には人の厚意を苦々しく思う人がいる。受けることに何か引け目を感じる。やはり、上に立つことを好むからだ。されることよりも、することに優越感を持っている。批判も同じく、されることは馬鹿にされたと思うのだ。 ユダヤ教の指導者たちもそうだったのだろう。神は命を与える、という手袋の宣教は痛いほどわかっていた。 しかし、素直にそうだ、とは言えなかった。というのは、自分たちが神にかわって人々の生殺与奪権を握っていたからだ。心の闇を暴かれると人は逆上する。そこに、イエス殺害の悲劇が起こった。しかも、徹底した残虐な形で。 人の負けたくない、取られたくない、と言う思いが悲劇を生む。 手袋はそれを引受けた、自分が勝ちたいとの思いがまた悲劇を生むことを知っていたからだ。「平和をつくり出す人たちは、さいわいである。彼らは神の子と呼ばれるであろう」(マタイ5・9) 私たちは手袋にはなれない、けれど、自分の闇からの解放を願わずにはいられない。 |
2005年3月27日(日) 復活の主日 日中のミサ ヨハネによる福音書20章1-9節
手袋が殺された、人の暗闇のせいで。 手袋は人々を暗闇から光りへ、即ち、対立と闘争から理解と共生へ導き出そうとした。しかし、その夢は無惨にも打砕かれた。闇にいる人々は留まった。 他方、光に導かれれた人々もいた。サマリアの井戸の女性、目の見えなかったバルトロマイ、ラザロの姉妹マルタとマリア、多くの病人、貧しい人たちである。彼・彼女たちにとって手袋は「渇くことのない命の水」であり「光」や「真理」「道」であり、また、「羊飼い」であり続けるのであった。つまり、墓、暗闇に留まる方ではないのだ。今も生きて、希望を与え続けている方なのだ。 それは闇にいるかぎり見えない、闇から出た者にしか見えないのだ。 墓の戸は閉めて、光の方へ踏み出そう。そこに、手袋がある。 |
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