ももちゃんの一分間説教 バックナンバー |
2004年9月5日(日) 年間第23主日 ルカによる福音書14章25-33節
マリアは思いがけない神からの招きに応えました。 |
2004年9月12日(日) 年間第24主日 ルカによる福音書15章25-1-10節
マリアは命を豊かにしようと、家を後にしました。 |
2004年9月19日(日) 年間第25主日 ルカによる福音書16章1-13節
マリアを支えたのは神の見守りでした。 力ある者が生き残るには人を支配することです。人を意のままにすることによって安泰できるのです。主人は自分の生き残りのため管理人の僕をやめさせようとしました。 ロシアの学校占拠事件は人質を犠牲にして権力を守りました。現代の企業も容赦なくリストラします。 マリアや弟も家族や共同体から排除されました。 他方、力のない弱い者が生き残るにはネットワークが必要です。管理人は友を作りました。マリアもまたエリザベトと組みました。弟は父の大きなネットに救われました。 イエスはそのネットワーク、即ち、神の国を広げたのでした。私たちはその網に掬われたのです。私たちもその網を延ばしましょう。 |
2004年9月26日(日) 年間第26主日 ルカによる福音書16章19-31節
管理人は友だちのネットワークをつくって生き残りました。 一方、乞食のラザロはどのネットにも繋らず、死んでしまいました。ラザロはどのような思いで死んでいったのでしょうか。身に受けた重荷をじっと耐え忍んでいたことでしょう。できものの痛みすら犬が舐めてやっと和らげられるほどだったのです。ラザロは片隅でひっそりとしか生きられなかったのです。このラザロの思いを誰が知るでしょうか。ましてや、金持には、ただの厄介者としかなかったでしょう。なんとなれば、ラザロを見ながらも金持の心は何も動かされなかったからです。むしろ、彼の関心は、収穫のこと、利益のこと、名誉を守ること、快楽を貪ることにしかなかったのです。 しかし、そのラザロに目を留め、心を痛めていた人がいました。この人は嘆いていました。そして、この方はラザロを神の国へと繋げたのです。この世では何の繋がりも持てず亡くなったラザロは神の国では繋がれたのです。 他方、金持は幾多のネットワークを持ちながらも、結局、そのネットは神の国では繋がれないものだったのです。なぜなら、ラザロと繋がっていなかったからです。 私たちのネットも、富を維持、拡大するためのネットではなく、ラザロの心を察し、彼と共生して行くネットにしたいものです。 |
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