ももちゃんの一分間説教 バックナンバー |
2004年8月1日(日) 年間第18主日 ルカによる福音書12章13〜21節
主の祈りは私たち人間が何であるかを明らかにします。 |
2004年8月8日(日) 年間第19主日 ルカによる福音書12章32〜48節
恵みは蔵にではなく、放出せよ、とイエスは招いています。 |
2004年8月15日(日) 聖母の被昇天 ルカによる福音書1章39-56節
恵みを喜捨するよう、イエスは呼びかけています。 マリアは、はしためであると、応えました。彼女は自分の存在、生命、境遇を神からの大きな恵であると受け取ったのです。それは、同じような境遇にある女性たちを励まし、導くために神様から頂いたものであるとの声を聴いたからでした。社会から蔑視されている自分たちが、実は神の目に留められていること、それは、この世の奢れる者たちの目を覚まし、この世を愛と平和に作りかえるためであるから、勇気と希望を持って生きようと呼びかけたのでした。 小さな者に心をかける神を見いだしたとき、その生涯を神に捧げることが出来るのです。この世の力ある者は、神を見出さず、自分しか頼れないのです。それゆえ、蔵にしまい込むのです。 |
2004年8月22日(日) 年間第21主日 ルカによる福音書13章22-30節
マリアの人生の転換は神への信頼でした。 神への信頼、この世では価値のない、おろかな、不確定ないつでもひっくり返る小さな狭い入り口です。信仰心の篤いと思われるような方でも何か起きると捨ててしまうようなものです。 マリアを考えると、他に頼るものは何もなかったのです。田舎の貧しい女性でしかない、童謡「赤とんぼ」の詞にあるような、「15で姉やは、嫁に行き・・・」、そんな境遇にある女性が自分の人生を肯定するには、他の何に頼れるでしょうか。 に較べ、私たちは頼れるものをたくさん持っているのです。広い入り口があるのです。 今日、神の声を聞き、応えましょう。私たちには、その入り口しかないのです。 |
2004年8月29日(日) 年間第22主日 ルカによる福音書14章1,7-14節
マリアは神の招きである狭い入り口に自分の人生を賭けました。 |
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