ももちゃんの一分間説教

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今週の一句

「頭上注意 エスカレーター ツバメの巣」

―もとゐ―


 2004年6月6日() 三位一体の主日

 ヨハネによる福音書16章12〜15節


16:12言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。
16:13しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。
16:14その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。
16:15父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」

 聖なる霊はわたしたちの目を覚まします。
 二人のジャーナリストがイラクで殺害されました。二人は命を懸けてイラク戦争 の真実を伝えようとしたのでした。イエスは真理を語ったために時の権力によっ て処刑されました。
 真実または真理を明らかにすることは命を懸けることなのです。しかし、イエス は真理が私たちを自由にする、と語っています。(ヨハネ8・22)虚偽は命を 守るけれど私たちを奴隷にするのです。(参照、同8・34)
 現在の日本の政治家たちは偽り、誤魔化しています。私たちはそこに目を遣ら ず、欲望と快楽に逃避していると共に滅亡して行くのです。
 虚偽から真理へ、死から生命に生きようとするなら、イエスの呼びかけ応え、イ エスと共に真理を、互いに愛し合う道を歩きましょう。

今週の一句

「靴紐の 締めなおす先 転ぶ虫」

―もとゐ―


 2004年6月13日() キリストの聖体

 ルカによる福音書9章11〜17節


09:11群衆はそのことを知ってイエスの後を追った。イエスはこの人々を迎え、神の国について語り、治療の必要な人々をいやしておられた。
09:12日が傾きかけたので、十二人はそばに来てイエスに言った。「群衆を解散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を見つけるでしょう。わたしたちはこんな人里離れた所にいるのです。」
09:13しかし、イエスは言われた。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」彼らは言った。「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません、このすべての人々のために、わたしたちが食べ物を買いに行かないかぎり。」
09:14というのは、男が五千人ほどいたからである。イエスは弟子たちに、「人々を五十人ぐらいずつ組にして座らせなさい」と言われた。
09:15弟子たちは、そのようにして皆を座らせた。
09:16すると、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。
09:17すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二籠もあった。

 聖霊は私たちを神の国の宣教に派遣します。
 イエスたちの宣教旅行は、無一物でした。従って、行く先々では誰かに頼らなければ なりませんでした。 (ルカ9・1−6)名もない貧しいイエスら一行をもてなす 人々の存在はイエスらに慰めと希望、勇気を与えたことでしょう。
 貧しい群衆たちはイエスの神の国について話しを聞こうと後を追ってきます。イエス は単に机上の説教をするだけではなく、群衆に癒しや自由、安心、勇気をもたらす力 ある業となっていたのです。だからこそ、群衆は追って来るのです。
 イエスは彼・彼女たちを迎えます。そして、食事を分かち合うのです。まるで、自分 らが迎えられ、食事を供されたかのように。
 イエスの神の国は、このような相互に生かし合うつながりなのです。互いに生かし合 い,与え合い、分かち合うことなのです。そこでは、互いに生きる喜びを与え合うの です。
 今日,私たちはいつでも人々を迎えられるよう準備しましょう。

今週の一句

「空梅雨や 急ぎ水遣り 暮れの畑」

―もとゐ―


 2004年6月20日() 年間第12主日

 ルカによる福音書9章18〜24節


09:18イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちは共にいた。そこでイエスは、「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。
09:19弟子たちは答えた。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『だれか昔の預言者が生き返ったのだ』と言う人もいます。」
09:20イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「神からのメシアです。」
09:21イエスは弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないように命じて、
09:22次のように言われた。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。」
09:23それから、イエスは皆に言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
09:24自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。

 イエスは今なお、豊かな糧を私たちに与え続けています。
 イエスへの信仰はイエスとの宣教旅行だと言えるかもしれない。と言うのは、イエス を主とする信仰は頭の中だけでは造られない、この世には数多くの主がいる、それら と抗して、イエスを主と呼ぶには弟子たちが招かれたように、神の国を告げ、貧しき 人たち、病む人々との関わりが必要だ。その過程で、イエスが私の主、救い主、神の 子となって行く。
 イエスは弟子たちに「私を誰と思うか」と尋ねた。それは、これまでの宣教旅行で彼 らがイエスをどう見て、どう評価するのか、と問うたのだ。
 日曜日、私たちを養う方は週日もあなた方と共にいる、と声をかけられる。

今週の一句

「帳おり 目と耳凝らし 蛍舞い」

―もとゐ―


 2004年6月27日() 年間第13主日

 ルカによる福音書9章51〜62節


09:51イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。
09:52そして、先に使いの者を出された。彼らは行って、イエスのために準備しようと、サマリア人の村に入った。
09:53しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである。
09:54弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言った。
09:55イエスは振り向いて二人を戒められた。
09:56そして、一行は別の村に行った。
09:57一行が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。
09:58イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」
09:59そして別の人に、「わたしに従いなさい」と言われたが、その人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。
09:60イエスは言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」
09:61また、別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」
09:62イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。

 イエスは私たちを宣教旅行に誘います。
 もちろん、それはイエスらのように各地を歩き回るということではありません。
 毎日の生活における旅です。出会う人々との関わりのなかで、神の愛を証しすること です。人との関わりはチャレンジです。ある意味で、招きです。その招きに応えるに は、身軽でなければなりません。自分の都合を優先すれば、チャンスを逃してしまい ます。それゆえ、イエスは私たちが最も思い煩うことからの離脱、出家を呼びかける のです。
 私たちも今日の招きに応えられるよう一つ捨てましょう。


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