ももちゃんの一分間説教

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今週の一句

「花の下 場所取り人の 頬染めし」

―もとゐ―


 2004年4月4日() 受難の主日

 ルカによる福音書23章1〜49節


23:01そこで、全会衆が立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。
23:02そして、イエスをこう訴え始めた。「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました。」
23:03そこで、ピラトがイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」とお答えになった。
23:04ピラトは祭司長たちと群衆に、「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」と言った。
23:05しかし彼らは、「この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです」と言い張った。
23:06これを聞いたピラトは、この人はガリラヤ人かと尋ね、
23:07ヘロデの支配下にあることを知ると、イエスをヘロデのもとに送った。ヘロデも当時、エルサレムに滞在していたのである。
23:08彼はイエスを見ると、非常に喜んだ。というのは、イエスのうわさを聞いて、ずっと以前から会いたいと思っていたし、イエスが何かしるしを行うのを見たいと望んでいたからである。
23:09それで、いろいろと尋問したが、イエスは何もお答えにならなかった。
23:10祭司長たちと律法学者たちはそこにいて、イエスを激しく訴えた。
23:11ヘロデも自分の兵士たちと一緒にイエスをあざけり、侮辱したあげく、派手な衣を着せてピラトに送り返した。
23:12この日、ヘロデとピラトは仲がよくなった。それまでは互いに敵対していたのである。
23:13ピラトは、祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて、
23:14言った。「あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。
23:15ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。
23:16だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」
23:17祭りの度ごとに、ピラトは、囚人を一人彼らに釈放してやらなければならなかった。
23:18しかし、人々は一斉に、「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」と叫んだ。
23:19このバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである。
23:20ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけた。
23:21しかし人々は、「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫び続けた。
23:22ピラトは三度目に言った。「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」
23:23ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。
23:24そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。
23:25そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた。
23:26人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。
23:27民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。
23:28イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。
23:29人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る。
23:30そのとき、人々は山に向かっては、/『我々の上に崩れ落ちてくれ』と言い、/丘に向かっては、/『我々を覆ってくれ』と言い始める。
23:31『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか。」
23:32ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。
23:33「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。
23:34〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。
23:35民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」
23:36兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、
23:37言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」
23:38イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。
23:39十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」
23:40すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。
23:41我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」
23:42そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。
23:43するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
23:44既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。
23:45太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。
23:46イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。
23:47百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人だった」と言って、神を賛美した。
23:48見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った。
23:49イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た婦人たちとは遠くに立って、これらのことを見ていた。

 人を裁くことから、人にへりくだることへの転換をイエスは呼びかけています。
 イエスの十字架刑死には、人々のあざけり、侮辱、ののしりに満ちています。人々は これをとばかり、声を張り上げ、罵倒し、イエスを抑圧しています。それほどまで、 イエスは人々の憎悪の対象となったのです。
 何故でしょうか、イエスは真理に招くからです。私たちの日常は真理に遠く、目をふ さぎ、虚偽に満ちています。人との関わりは、共生ではなく、競走になっています。 人々はその空しさに気づきながらも、何も変えられない自分に苛立っているのです。 そんな私たちへのイエスの言動は、耳を塞ぎたくなり、ついには、イエスを憎悪する のです。
 イエスは十字架上から声をかけます。「何をしているのか知らない」と。
 私たちは目を覚ましましょう。命を軽視する生き方から、尊ぶ生き方へ、人と共に歩 むことへ脱しましょう。

今週の一句

「花の下 にわかカメラ師 はいポーズ」

―もとゐ―


 2004年4月8日() 聖木曜日 主の晩さん

 ヨハネによる福音書13章1〜15節


13:01さて、過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。
13:02夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。
13:03イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、
13:04食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
13:05それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。
13:06シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。
13:07イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。
13:08ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。
13:09そこでシモン・ペトロが言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も。」
13:10イエスは言われた。「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」
13:11イエスは、御自分を裏切ろうとしている者がだれであるかを知っておられた。それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである。
13:12さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。
13:13あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。
13:14ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。
13:15わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。

 イエスは十字架上から、私たちが何をしているか知るようにと呼びかけていま す。
 イエスは私たち人間の闇、罪を明らかにしました。自己中心的で、人との関わり を断つあり方を。私たちはいつもその罪を引きずっています。自由になることは 自らではできません。イエスはその汚れを洗ってくれるのです。私たちをそのま ま受け止めてくれるのです。きわみまで愛されるのです。そして、わたしたちを 招きます。互いに受け容れ合おう、と。ミサの場はまさにそれを実現するところ です。受け容れられ、受け容れる場なのです。
 イラクの情勢は悪化しています。今晩、祝う晩餐にすべての人が集えるように、 私たちは平和を祈りましょう。

今週の一句

「山麓を ひっそりと飾る 山桜」

―もとゐ―


 2004年4月9日() 聖金曜日 主の受難

 ヨハネによる福音書18章1節〜19章42節


18:01こう話し終えると、イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた。
18:02イエスを裏切ろうとしていたユダも、その場所を知っていた。イエスは、弟子たちと共に度々ここに集まっておられたからである。
18:03それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役たちを引き連れて、そこにやって来た。松明やともし火や武器を手にしていた。
18:04イエスは御自分の身に起こることを何もかも知っておられ、進み出て、「だれを捜しているのか」と言われた。
18:05彼らが「ナザレのイエスだ」と答えると、イエスは「わたしである」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒にいた。
18:06イエスが「わたしである」と言われたとき、彼らは後ずさりして、地に倒れた。
18:07そこで、イエスが「だれを捜しているのか」と重ねてお尋ねになると、彼らは「ナザレのイエスだ」と言った。
18:08すると、イエスは言われた。「『わたしである』と言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい。」
18:09それは、「あなたが与えてくださった人を、わたしは一人も失いませんでした」と言われたイエスの言葉が実現するためであった。
18:10シモン・ペトロは剣を持っていたので、それを抜いて大祭司の手下に打ってかかり、その右の耳を切り落とした。手下の名はマルコスであった。
18:11イエスはペトロに言われた。「剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は、飲むべきではないか。」
18:12そこで一隊の兵士と千人隊長、およびユダヤ人の下役たちは、イエスを捕らえて縛り、
18:13まず、アンナスのところへ連れて行った。彼が、その年の大祭司カイアファのしゅうとだったからである。
18:14一人の人間が民の代わりに死ぬ方が好都合だと、ユダヤ人たちに助言したのは、このカイアファであった。
18:15シモン・ペトロともう一人の弟子は、イエスに従った。この弟子は大祭司の知り合いだったので、イエスと一緒に大祭司の屋敷の中庭に入ったが、
18:16ペトロは門の外に立っていた。大祭司の知り合いである、そのもう一人の弟子は、出て来て門番の女に話し、ペトロを中に入れた。
18:17門番の女中はペトロに言った。「あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか。」ペトロは、「違う」と言った。
18:18僕や下役たちは、寒かったので炭火をおこし、そこに立って火にあたっていた。ペトロも彼らと一緒に立って、火にあたっていた。
18:19大祭司はイエスに弟子のことや教えについて尋ねた。
18:20イエスは答えられた。「わたしは、世に向かって公然と話した。わたしはいつも、ユダヤ人が皆集まる会堂や神殿の境内で教えた。ひそかに話したことは何もない。
18:21なぜ、わたしを尋問するのか。わたしが何を話したかは、それを聞いた人々に尋ねるがよい。その人々がわたしの話したことを知っている。」
18:22イエスがこう言われると、そばにいた下役の一人が、「大祭司に向かって、そんな返事のしかたがあるか」と言って、イエスを平手で打った。
18:23イエスは答えられた。「何か悪いことをわたしが言ったのなら、その悪いところを証明しなさい。正しいことを言ったのなら、なぜわたしを打つのか。」
18:24アンナスは、イエスを縛ったまま、大祭司カイアファのもとに送った。
18:25シモン・ペトロは立って火にあたっていた。人々が、「お前もあの男の弟子の一人ではないのか」と言うと、ペトロは打ち消して、「違う」と言った。
18:26大祭司の僕の一人で、ペトロに片方の耳を切り落とされた人の身内の者が言った。「園であの男と一緒にいるのを、わたしに見られたではないか。」
18:27ペトロは、再び打ち消した。するとすぐ、鶏が鳴いた。
18:28人々は、イエスをカイアファのところから総督官邸に連れて行った。明け方であった。しかし、彼らは自分では官邸に入らなかった。汚れないで過越の食事をするためである。
18:29そこで、ピラトが彼らのところへ出て来て、「どういう罪でこの男を訴えるのか」と言った。
18:30彼らは答えて、「この男が悪いことをしていなかったら、あなたに引き渡しはしなかったでしょう」と言った。
18:31ピラトが、「あなたたちが引き取って、自分たちの律法に従って裁け」と言うと、ユダヤ人たちは、「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません」と言った。
18:32それは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、イエスの言われた言葉が実現するためであった。
18:33そこで、ピラトはもう一度官邸に入り、イエスを呼び出して、「お前がユダヤ人の王なのか」と言った。
18:34イエスはお答えになった。「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。」
18:35ピラトは言い返した。「わたしはユダヤ人なのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか。」
18:36イエスはお答えになった。「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」
18:37そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」
18:38ピラトは言った。「真理とは何か。」ピラトは、こう言ってからもう一度、ユダヤ人たちの前に出て来て言った。「わたしはあの男に何の罪も見いだせない。
18:39ところで、過越祭にはだれか一人をあなたたちに釈放するのが慣例になっている。あのユダヤ人の王を釈放してほしいか。」
18:40すると、彼らは、「その男ではない。バラバを」と大声で言い返した。バラバは強盗であった。
19:01そこで、ピラトはイエスを捕らえ、鞭で打たせた。
19:02兵士たちは茨で冠を編んでイエスの頭に載せ、紫の服をまとわせ、
19:03そばにやって来ては、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、平手で打った。
19:04ピラトはまた出て来て、言った。「見よ、あの男をあなたたちのところへ引き出そう。そうすれば、わたしが彼に何の罪も見いだせないわけが分かるだろう。」
19:05イエスは茨の冠をかぶり、紫の服を着けて出て来られた。ピラトは、「見よ、この男だ」と言った。
19:06祭司長たちや下役たちは、イエスを見ると、「十字架につけろ。十字架につけろ」と叫んだ。ピラトは言った。「あなたたちが引き取って、十字架につけるがよい。わたしはこの男に罪を見いだせない。」
19:07ユダヤ人たちは答えた。「わたしたちには律法があります。律法によれば、この男は死罪に当たります。神の子と自称したからです。」
19:08ピラトは、この言葉を聞いてますます恐れ、
19:09再び総督官邸の中に入って、「お前はどこから来たのか」とイエスに言った。しかし、イエスは答えようとされなかった。
19:10そこで、ピラトは言った。「わたしに答えないのか。お前を釈放する権限も、十字架につける権限も、このわたしにあることを知らないのか。」
19:11イエスは答えられた。「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もないはずだ。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い。」
19:12そこで、ピラトはイエスを釈放しようと努めた。しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています。」
19:13ピラトは、これらの言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、すなわち「敷石」という場所で、裁判の席に着かせた。
19:14それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった。ピラトがユダヤ人たちに、「見よ、あなたたちの王だ」と言うと、
19:15彼らは叫んだ。「殺せ。殺せ。十字架につけろ。」ピラトが、「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか」と言うと、祭司長たちは、「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません」と答えた。
19:16そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。こうして、彼らはイエスを引き取った。
19:17イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。
19:18そこで、彼らはイエスを十字架につけた。また、イエスと一緒にほかの二人をも、イエスを真ん中にして両側に、十字架につけた。
19:19ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。
19:20イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。
19:21ユダヤ人の祭司長たちがピラトに、「『ユダヤ人の王』と書かず、『この男は「ユダヤ人の王」と自称した』と書いてください」と言った。
19:22しかし、ピラトは、「わたしが書いたものは、書いたままにしておけ」と答えた。
19:23兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。
19:24そこで、「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう」と話し合った。それは、/「彼らはわたしの服を分け合い、/わたしの衣服のことでくじを引いた」という聖書の言葉が実現するためであった。兵士たちはこのとおりにしたのである。
19:25イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。
19:26イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。
19:27それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。
19:28この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。
19:29そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。
19:30イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。
19:31その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、足を折って取り降ろすように、ピラトに願い出た。
19:32そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との足を折った。
19:33イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。
19:34しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。
19:35それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。その者は、あなたがたにも信じさせるために、自分が真実を語っていることを知っている。
19:36これらのことが起こったのは、「その骨は一つも砕かれない」という聖書の言葉が実現するためであった。
19:37また、聖書の別の所に、「彼らは、自分たちの突き刺した者を見る」とも書いてある。
19:38その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。
19:39そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。
19:40彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。
19:41イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。
19:42その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。

 イエスは私たちが罪人にもかかわらず、受け取ってくださるのです。
 イエスは私たち人間の罪を明らかにしました。ひいて、それはこの世の悪をも明 らかにしました。大祭司、ピラトを代用とする世界の。この世では悪が勝利しま す。しかし、それは、つかの間の、砂上の、勝利でしかありません。ピラトは後 に失脚、大祭司たちは神殿とともに滅びました。 一方、イエスの真理は一時的 には敗北しましたが、人々のこころに届きました。そして、からし種ではありま すがこの世界に浸透しつつあります。イエスの成し遂げられたは、このことなの です。真理、愛は届くとヨハネは告げるのです。
 イラクやパレスティナの情勢は逼迫していますが、命を尊ぶ人が正義と平和の道 具となっています。
 イエスに強められ私たちもその一人になりましょう。

今週の一句

「花散るや 手のひらのばし すくい取り」

―もとゐ―


 2004年4月11日() 復活の主日

 ヨハネによる福音書20章1〜9節


20:01週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。
20:02そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」
20:03そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。
20:04二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。
20:05身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。
20:06続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。
20:07イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。
20:08それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。
20:09イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。

 今年の復活祭は奇しくも私たちに生と死の問題を投げかけました。
 ご存知のように、イラクで民間の日本人3人がイスラム武装勢力によって拉致され、 犯人は日本政府に自衛隊の撤退か3人の死かを要求しました。この事件を耳にしたと き、私たちはどう考えたでしょうか。
 新聞には、与党には3人は勝手にイラクへ行ったから責任を問わなくても良いとか、 妥協するなとか、あるいは、逆に自衛隊撤退とか当然異なる立場からの意見が載って いました。さて、私たちキリスト者はどういう意見をもっているでしょうか。
 私たちが生きるとは人の生死と関わることと言ってもいいでしょう。家族との関係、 仕事や生きがい、政治や経済との関係、それは結局、他者の生死、すなわち、命を大 事にするかしないかにつながるのではないでしょうか。命を大切にしようとするなら 相手の尊重、つまり、対話、理解、ゆるし、待つ関係です。他方、命を粗末にするな ら、支配、強制、裁き、暴力の関わりになってしまいます。今回のイラクと日本の関 係はどうだったでしょうか。政府の大義名分はいろいろあるでしょうが、基本的に は、アメリカ追随、自国の利益のためには何でもしてしまう、人の命をなんとも思わ ない国に従っているのではないでしょうか。そのような、国家の命を粗末にする関係 から、命を大事にしようという関わりを作りたくて行動したのが今回の3人だったの です。今朝のニュースによれば、幸い、武装グループはそのことを知って3人を解放 するということです。皮肉にも、ゲリラの方が日本政府より命を大切にしていること がわかりました。無用な殺傷はしたくないということなのでしょう。
 今回の事件は、私たちが日頃何を大事にして生きているのかを問われたと思います。 イエスの時代もイラクと同様でした。ユダヤの対ローマ戦争で殺戮が繰り返され、イ エスと同じ貧しい民衆はいたずらに殺され、家を失い、飢えと病気に犯され一日を生 きのびるのに精一杯だったのです。このような状況のもと、イエスは武力やテロに訴 えるのではなく、貧しい人々と共に、ともかく、今日一日の命が生き延びるように、 認め合い、ゆるし合い、分かち合われたのです。それは、神様が一人一人の命を大事 にされているという確信から導かれたのです。
 私たちが、このイエスと同じ信仰に生きるとき、命を大事にしているのです。今回の 事件への答えはここから出て来ると思います。
 イエスの復活、それは、命をいかし合おう、とのメッセージです。そのために、あな たは何をしますかとの問いかけなのです。
 さあ、今日出会う人と命の分かち合いをしましょう。

今週の一句

「つばめ追い 眼上げれば 青い空」

―もとゐ―


 2004年4月18日() 復活節第2主日

 ヨハネによる福音書20章19〜31節


20:19その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。
20:20そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。
20:21イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」
20:22そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
20:23だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」
20:24十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。
20:25そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」
20:26さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。
20:27それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
20:28トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。
20:29イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」
20:30このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。
20:31これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。

 生命を大切にしようと、イエスは呼びかけている。
 弟子たちはイエスの死に放心していた。理不尽なる磔死、しかも、自分たちは手を拱 いて、なすすべもなく、むしろ、裏切り逃げてしまったそのおのれらの弱さ、卑怯さ に愕然打ちのめされていた。さらに、ユダのように自らの手でその苦しみに終止符を 打てない惨めさに苦悶は続いた。
 彼らはイエスに祈った。「主よ、私たちはどうしたらいいのでしょうか。どうか、教 えてください」と。イエスとの出会い、交わり、宣教の旅を思い起こした。呼ばれた こと、貧しい人、病める者たちの喜ぶさま、罪人の安堵した顔、飢えた人々とパンを 分かち合ったこと、力あるしるしを見たこと、ゆるされ、足を洗われたこと、等々。 イエスへの深い沈潜は彼らに再びイエスとの対話を始めていた。イエスの声が聞こえ てくる。「あなたがたに平和があるように。」
 彼らは立ち上がった。同じく、イエスとの別離に悲しむ人々に、このイエスの言葉を 伝えようと。
 私たちも、今、イエスの声を聞いている。互いにゆるし合うように、仕え合うよう に、との声を。暗雲覆うこの世界にこの声を届けよう。

今週の一句

「筍や 大地押し上げ 天を突く」

―もとゐ―


 2004年4月25日() 復活節第3主日

 ヨハネによる福音書21章1〜19節


21:01その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。
21:02シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。
21:03シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。
21:04既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。
21:05イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。
21:06イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。
21:07イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。
21:08ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。
21:09さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。
21:10イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。
21:11シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。
21:12イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。
21:13イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。
21:14イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。
21:15食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。
21:16二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。
21:17三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
21:18はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」
21:19ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。

 イエスは自ら私たちの方へ現れます。
 不安に怖じ惑う弟子たちやマグダラのマリアに声をかけられました。「平和があるよ うに。」確かに、イエスへの復活信仰は私たちの窮状、混乱を打開し新たな希望を与 えてくれます。しかし、イエスは急場凌ぎに助けてくれるだけではありません。
 今日の復活物語は、イエスが私たちの日常の生業のなかにいてくださることを示して います。弟子らの漁師としての生活の場にイエスは立っていました。イエスは弟子た ちの漁を見守り、いっしょに飯を食っていたのです。
 イエスのいるところは、教会の礼拝とか祈りの場、霊的、神秘的体験とか言われると ころではないのです。私たちの暮らしの真っ只中なのです。家事、育児から、労働や 社会活動においてイエスはいるのです。
 今や、私たちは何か忘れています。人としての基準。イラクやパレスティナでの戦 争、また、私たちの日々の暮らしの中で、イエスを忘れています。即ち、生命を守る ことです。イエスに気づきましょう。イエスの招きに応えましょう。イエスは立って おられるのです。


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