今週の一句 |
「秋雨の 一滴に芽出す 大根かな」
―もとゐ―
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2003年9月28日(日) 年間第26主日
マルコによる福音書9章38〜42節、45節、47節〜48節、
09:38 | ヨハネがイエスに言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」
| 09:39 | イエスは言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。
| 09:40 | わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。
| 09:41 | はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。」
| 09:42 | 「わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい。
| 09:45 | もし片方の足があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両足がそろったままで地獄に投げ込まれるよりは、片足になっても命にあずかる方がよい。
| 09:47 | もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出しなさい。両方の目がそろったまま地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても神の国に入る方がよい。
| 09:48 | 地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。
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いと小さくされた者を受けいれなさい、とイエスは呼びかけます。
弟子たちのイエス信従の道は、平坦ではありませんでした。何度も何度も、失敗と挫折、裏切り、の連続でした。弟子たちは社会的には一人前に扱われていたのですが、神の前では小さい者だったのです。
しかし、イエスはその都度、彼らの一人一人に目を留め、手を差し伸べ、触れられたのでした。そして、彼らはまた歩き出したのでした。イエスの思いは、誰もが神の祝福、生きていて良かった、と言える人生に与ることでした。
そのため、イエスはあなたがたも小さくされた人々と出会って、互いの人生に関わり合おうと呼びかけているのです。
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