ももちゃんの一分間説教

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今週の一句

「水はりて かわず喜ぶ ゲロゲログァッ」

―もとゐ―


 2003年6月1日() 主の昇天

 マルコによる福音書16章15〜20節


16:15それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。
16:16信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。
16:17信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。
16:18手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」
16:19主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。
16:20一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。〕

 私の愛に留まれ、とイエスは私たちを招いています。
 スーパーパワーのアメリカはその軍事力で世界の頂点に立とうとしています。しかし、戦後のイラクを見ても、イラク人たちはそれには従わず、独自の国づくりをしようとしています。やはり、イスラム教の信仰があるからでしょうか。
 日本では過半数を制す政府与党によって、有事法など危険な法律がどんどん作られているにもかかわらず、国民は黙従しています。やはり、現世利益的信仰だからでしょうか。
 十字架上で亡くなられたイエスは死んでばかりいられなくて、立ち上がり弟子たちを宣教に遣わします。人間に従うのではなく、人を愛し、弱い立場の人々と共にいられる神の名を広めなさい、と。
 イエスから新たな生命をいただいた私たちは、悔い改めのうちに強者優先の社会にノーを発し、弱い立場の人々と分かち合う生活を選んで行きましょう。

今週の一句

「紫陽花の 季節思わす 淡し色」

―もとゐ―


 2003年6月8日() 聖霊降臨の主日

 ヨハネによる福音書15章26〜27節、16章12〜15節


15:26わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。
15:27あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。
16:12言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。
16:13しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。
16:14その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。
16:15父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」

 イエスを主として生活しなさい、と呼びかけられています。
 イエスはこの世から去る前に、残された弟子たち、2世紀初めにおけるユダヤとローマ帝国からの迫害に曝されていた彼らを心配しました。彼らが自分や遣わした神から離れないように、繋がっていなさい、愛にとどまりなさい、と招いたり、良き羊飼いの声に聴き従いなさい、と呼びかけています。更に、今度は弁護者、真理の証し人である聖霊を派遣すると約束しました。
 これほどまでに、イエスは私たちの弱さを熟知し、配慮しているのです。私たちが自身や神から離れて競争社会、暴力に巻き込まれないようするためです。それゆえ、私たちは信頼して、安んじてイエスの後について行きましょう。

今週の一句

「紫蘇の葉の 店頭並んで 口酸っぱ」

―もとゐ―


 2003年6月15日() 三位一体の主日

 マタイによる福音書28章16〜20節


28:16さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。
28:17そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。
28:18イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。
28:19だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、
28:20あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

 聖霊に耳を傾けろ、とイエスは招きます。
 梅雨どきの風は、生暖かく湿っぽい、体にカビが生えそうな気がする。梅雨前は熱いけれどさらっとし心地良い。冬は凍てつくようだ。また、風は色々なものを運ぶ、黄砂とか汚染した大気、あるいは、においを運ぶ、戦火のにおい、季節毎に野山や田んぼや畑のにおい、食事時には料理のにおい、または、異変。人はそれに触れ、嗅いで季節を感じ、または、世界や自分の体調を知る。
 イエスの言動もまた同じだ。イエスの生き様から、神は誰であり、人は何者か。愛とは自由とは悪とはの目や耳が開かれる。
 風に耳を澄ますように、イエスに傾けよう、きっと、何かに触れられるだろう。

今週の一句

「子どもらは 傘もて遊ぶ 梅雨の道」

―もとゐ―


 2003年6月22日() キリストの聖体

 マルコによる福音書14章12〜16節、22〜26節


14:12除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日、弟子たちがイエスに、「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」と言った。
14:13そこで、イエスは次のように言って、二人の弟子を使いに出された。「都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい。
14:14その人が入って行く家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をするわたしの部屋はどこか」と言っています。』
14:15すると、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれるから、そこにわたしたちのために準備をしておきなさい。」
14:16弟子たちは出かけて都に行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。
14:22一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」
14:23また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。
14:24そして、イエスは言われた。「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。
14:25はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい。」
14:26一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。

 風に耳を傾けるように、神にじっと聴きなさいとイエスは招きます。
 イエスの死は出エジプトの伝統に生きた人々には、エジプトの奴隷から自由になったように、圧制、隷従からの解放の徴であった。しかし、それは、モーセらのような奇跡的軍事的成功ではなかった。イラクの圧制からの解放は確かに、アメリカの軍事力によってなされたかもしれない、が、イラク人はアメリカのそれが石油確保のための新たな支配であることを見抜き、アメリカに従うことを拒否している。
 出エジプトはイスラエルに新たな支配層を作り人々を従属、搾取した。イスラエルが真の解放、自由を得るためには自己を与えたイエスの出現を待つしかなかったのである。
 キリストの体をいただく、ミサを祝うことは、このイエスの生と死を思い起こし、圧制への反対、自己の放棄に生きることを新たにすることだ。

今週の一句

「電気消し 静かに憩う 夏至の夜」

―もとゐ―


 2003年6月29日() 聖ペトロ・聖パウロ使徒

 マタイによる福音書16章13〜19節


16:13イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。
16:14弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」
16:15イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」
16:16シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。
16:17すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。
16:18わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。
16:19わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」

 愛とゆるしの食卓にイエスは私たちを招きます。
 イエスはペテロやパウロにこの食卓に人を招くよう選ばれました。使徒言行録にあるように二人はそれぞれの役割、ペテロはユダヤ人をパウロは異邦人の宣教に勤めました。それによって、罪人を迎えたイエスの食卓がさらに人種、国籍、を超えて世界に開かれたものになりました。まさに、天の国の門が広げられたのです。
 2000年後の現代の教会はその門をもっと広げなければならないのではないでしょうか。世界が利己的になったに反して。私たちはもっと多様な人々、特に、困難にある人々をその食卓に招くよう、働きましょう。


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