ももちゃんの一分間説教

今週の一句
「 照りつけし 鳩の水浴び  始業前 」
―もとゐ―


2001年7月1日() 年間第13主日 ルカ 9:51〜62


9:51
イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。
9:52
そして、先に使いの者を出された。彼らは行って、イエスのために準備しようと、サマリア人の村に入った。
9:53
しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである。
9:54
弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言った。
9:55
イエスは振り向いて二人を戒められた。
9:56
そして、一行は別の村に行った。
9:57
一行が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。
9:58
イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」
9:59
そして別の人に、「わたしに従いなさい」と言われたが、その人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。
9:60
イエスは言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」
9:61
また、別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」
9:62
イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。

 青少年に夢を与えよ、とイエスは私たちに呼びかけています。
 イエスは神の国を広めようと、私たちを招かれます。しかし、イエスの神の国に対し、私たちは得て勝ってな神の国を想像しています。ユダヤ教のファリサイ人たちのように、自分たちの善い行い(形式的律法主義)が報われることであるとか、ペテロたちのように、栄光に包まれた神殿とか、貧しい群衆のように腹一杯食えることとか、あるいは、私たちのように酒池肉林の欲望が充たされることとか、と思い込んでいます。それ故に、勇んで出かけようとします。まるで、一攫千金を夢見るように。
 ところが、イエスは迫害と受難の道が待っている、と告げるのです。神の国の宣教はイエスのように自己を捨てることによって行われるのです。自己を得たうえでは、ユダヤ教のように滅びて行くのです。
 今や、アフリカではエイズの猛威によって国が滅びようとしています。それを救うには、先進国からの債務帳消しが不可欠です。債務返済のため、医療や教育の予算がなくなり、ますます、エイズの被害が拡がるのです。神の国の宣教に招かれている私たちはこのアフリカの現状に目をつぶることができません。日本を含む先進国に、富を捨ててアフリカの子どもたちの生命を守ること、同時に、私たち自身の生活を変えて行くことを呼びかけて行きましょう。

今週の一句
「 七夕や 五色の短冊 サミット行く 」
―もとゐ―


2001年7月8日() 年間第14主日 ルカ 10:1〜9


10: 1
その後、主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。
10: 2
そして、彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。
10: 3
行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。
10: 4
財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。
10: 5
どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。
10: 6
平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。
10: 7
その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。
10: 8
どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、
10: 9
その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。

 神の国を広めよ、とイエスは私たちに呼びかけています。
 さて、イエスは神の国の宣教にあたって、何も持つなと弟子たちに告げました。私たちは日々の暮しにおいて何も持たないことへの恐怖と不安があり、そのため、一銭でも多く持ちたいと身を削っています。現に、今、日本では何も持たないと、野宿生活をせざるを得なくなります。ですから、弟子たちはなおのことイエスのこの諭しを聞いたとき、びっくりしたことでしょう。学問、教養、権威のない彼らが、お金すら持たずに、どうやって宣教できるのかと、イエスに食って掛かりたくなったでしょう。現代の宣教師たちも、それじゃ、やめだと、帰って行くでしょう。何故、私たちはものを持たないことに、不安がったり、何もできないと思うのでしょうか。
 一つは、誰も助けてくれない社会だから自分で自分を守るしかないからであり、もう一つは、宣教のあり方を教会を建設するとか何か目に見えるものを作るとかに限定しているからではないだろうか。
  従って、イエスの発言はそれらとは違う生活観、宣教観を意味しているのです。生きることは互いが生かしあうこと、そして、宣教はそれを実現すること、つまり、神の国に生きることなのです。そこには、持つことは不要であり、教会とかセンターを作る必要もないのです。私たちが日常において、互いに仕え合うことなのです。
 私たちは「持つ」ことの不安から解放されて相互扶助のあたりまえの社会を築きましょう。

今週の一句
「 初蝉や 暁破る 試験の朝 」
―もとゐ―


2001年7月15日() 年間第15主日 ルカ10:25〜37


10:25
すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」
10:26
イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、
10:27
彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」
10:28
イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」
10:29
しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。
10:30
イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。
10:31
ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
10:32
同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
10:33
ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、
10:34
近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。
10:35
そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』
10:36
さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」
10:37
律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」

 神の国の宣教とは、互いが生かし合うこと、とイエスは私たちに語りかけています。
 イエスは弟子たちを神の国の宣教に遣わしました。彼らがイエスのみ言葉に固く立って人々に関わったところに神の国は到来しました。即ち、病人が癒され、貧しい者が生かされたのでした。イエスはこの現実を神に感謝しました。神の国が弟子らの小さい人々において目に見える形となったことを。(参照:ルカ10:1〜24)
 他方、小さき者の対極にあるユダヤ教の専門家である律法学者たち(=大きな者)には、イエスの言う神の国は見えませんでした。何故なら、小賢しい人ほど、伝統、正統性、権威、に頼って、屁理屈を捏ねるだけで、自分からは何一つ行動しないのです。したがって、イエスの言うことはハナから聞かず、馬鹿にするため、律法解釈をイエスに挑んだのです。
 そんな彼らにイエスは解釈などせずに、「行って、同じようにせよ。」と言われたのです。つまり、おまえたちの小賢しさを捨てろ、永遠の命には何の役にも立たない。空虚になって、弟子たちと同じように宣教へ行け、そうすれば、神の国の来ていることを見るだろうと。
 私たちも信仰書や信心書を読むだけになってはいけません。隣人になることにおいて神と出会えるのです。

今週の一句
「 休耕田 羽根休めけり 夏本番 」
―もとゐ―


2001年7月22日() 年間第16主日 ルカ 10:38〜42


10:38
一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。
10:39
彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。
10:40
マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」
10:41
主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。
10:42
しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

 「行って、隣り人になれ」とイエスは私たちを招いています。
 神の国の宣教とは、言い換えれば、この隣り人になることです。しかし、これが、ユダヤ教指導者たちのように律法主義的に捉えられると、それは、再び、他者を裁き、分断することになってしまいます。忙しく働いているマルタが何もしないマリアを非難責めているのは、マルタが自分を誇り、マリアを軽蔑していることから出てきているのです。ちょうど、ユダヤ教指導者らが、自らを「善人」と呼び、貧しい人、病人を「罪人」と決め付けていることと同じなのです。
 イエスはそのようなマルタに対し、己の無力さに嘆き、神によりすがるしかないマリアを受け容れるよう、呼びかけたのでした。なぜならば、神ご自身が罪人なる私たちを無条件に愛していて下さるからです。それは、同時に、肩肘を張っているだけではなく、自分の弱さを認め、休みながら行こうよ、という、マルタへのメッセージでもあったのです。
 私たちも宣教に出掛ける前に、また、疲れたときに、イエスの前に静かに腰をおろしましょう。愛とゆるしを頂き、それを返しに行きましょう。

今週の一句
「 幼子の 手に引かれ ラジオ体操 」
―もとゐ―


2001年7月29日() 年間第17主日 ルカ 11:1〜13


11: 1
イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。
11: 2
そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。
11: 3
わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。
11: 4
わたしたちの罪を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」
11: 5
また、弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。
11: 6
旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』
11: 7
すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』
11: 8
しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。
11: 9
そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
11:10
だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
11:11
あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。
11:12
また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。
11:13
このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」

 マリアと一緒に座りなさい、とイエスはマルタに呼びかけました。
 神の国の宣教がいつしか自分を義とするため、利己的になってしまうことがあります。かって、キリスト教会はイエスの神の国ではなく、教会を宣教してしまいました。
 そんな私たちにイエスは「主の祈り」を教えられました。それは、神の国に生きようとする人間にとって一番必要なことであり、最も自力では得られないことを、神は求める人、探す者には与えてくださる信仰の祈りです。私たちに必要であり、最も得難いこと、それは、「ゆるし」であります。
 マルタは確かに有能であり、よく働く人でした。しかし、彼女はマリアを理解しませんでした。働いている人がホームレスを理解できずに彼らを非難するように。また、凶悪犯罪の被害者たちには到底、犯人をゆるすことは出来ないでしょう。あるいは、私たちは私利私欲のため、自己弁護のため、他者を利用し偽り、暴力をふるっています。一体、私たちは、個人をはじめ、企業国家まで罪に染まっていない者はないでしょう。
 したがって、この「主の祈り」において、罪をゆるしてください、は神にしか求められないことなのです。人には求められないことなのです。
 マルタもイエスに指摘されたとき、心で叫んだでしょう、「マリア、ごめん、ゆるして」と。
 神の国の宣教、それは、神と人にゆるしを願うことなのです。


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