ももちゃんの一分間説教

今週の一句
「 虫かごと 子ども乗せ往く 夏休み 」
―もとゐ―


2000年8月27日() 年間第21主日 ヨハネ 6:60〜69


6:60
ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」
6:61
イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。
6:62
それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば・・・・・・。
6:63
命を与えるのは”霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。
6:64
しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。
6:65
そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのだ。」
6:66
このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。
6:67
そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。
6:68
シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。
6:69
あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」

 イエスは私たちを永遠の生命に招かれる
 イエスの呼びかけの前に私たちは立たされ決断を迫られるイエスの言葉の真実は理解にではなく信従において獲得されるのです知的理解においてはユダヤ人のように拒否するしかありません「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」(ヨハネ 6:52)「実にひどい話だだれがこんな話を聞いていられようか」(ヨハネ 6:60)
 即ちそれまでの自分を捨ててイエスに賭けるのです
 私たちは安定した生活(砂上の上での)を壊したくないため偽りに偽りを重ねて生きていますエジプトから解放されたユダヤ人が肉を食うために戻りたいと言ったように肉のためには奴隷になるのです
 奴隷ではなく神の子になりましょう人生が不満とつぶやきではなく喜びと感謝になるように決断しましょう
 さあモーセに導かれたユダヤ人のように永遠の生命を得るために荒野にでかけましょう

今週の一句
「 田を渡る 頬をなで行く 秋の風 」
―もとゐ―


2000年8月20日() 年間第20主日 ヨハネ 6:51〜59


6:51
わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」
6:52
それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。
6:53
イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。
6:54
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。
6:55
わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。
6:56
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。
6:57
生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。
6:58
これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」
6:59
これらは、イエスがカファルナウムの会堂で教えていたときに話されたことである。

 イエスは今生きておられ私たちを生かすためご自分を献げています
 私たちは毎日何を食べているのだろうつまり私たちの生は何に支えられているのだろう食欲性欲所有欲他者への優位欲を満たしたいとの思いが私たちを生かしているのではないだろうか例えば何故働くのかと問われればそれによって上の欲が満たされるからと答えられるのではないか
 けれどもそれらの欲望はひろさちや氏が言うように際限のない人を奴隷とするのであるよって私たちは自己を見失い家族を失い命を捨てる羽目になるのだ「人はたとえ全世界を手に入れても自分の命を失ったら何の得があろうか」(マルコ 8:36)
 イエスを食する即ちイエスを支えとするなら私たちの生はイエスのように分かち合い放棄することに招かれているそこでは自己を見出し友と繋がり豊かな永遠の生命にかわるのである五つのパンと二匹の魚が多くの人の生命を甦らせたと同じように
 さあイエスの生命をいただく毎に私たちを分け与える恵を願いましょう

今週の一句
「 朝顔や 先祖迎えに 花開く 」
―もとゐ―


2000年8月13日() 年間第19主日 ヨハネ 6:41〜51


6:41
ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から降って来たパンである」と言われたので、イエスのことでつぶやき始め、
6:42
こう言った。「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか。」
6:43
イエスは答えて言われた。「つぶやき合うのはやめなさい。
6:44
わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。
6:45
預言者の書に、『彼らは皆、神によって教えられる』と書いてある。父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。
6:46
父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。
6:47
はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。
6:48
わたしは命のパンである。
6:49
あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。
6:50
しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。
6:51
わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」

 イエスは神殿に鎮座される方ではありません苦難にある人々のところへ出かける方です
 イエスはペトロの申し出を断りました同じく飢えを満たすメシアを求める貧しい群衆にも拒否しました「飢えるものではなく永遠の命にいたるものを求めよ」とイエスとの出会いは私たちを見えることから見えないことへと導いて行きます私たちの安心はどこにあるでしょうやっぱり食い物のあること住む所着る物のように物のあることでしょうしかしイエスはそれらのものはいくらもったところで「死んでしまう」と言います日本人のあくせくした生活が心の荒廃でしかなかったように
 イエスは私につながっていなさいと言いますなぜなら永遠に生きると言うのですイエスの生命すら放棄する無所有自由さは人々を感嘆させ勇気づけ従わせています
 さあ私たちの喜びのない行き詰まった生活を打破しよう物にではなくイエスに安心して

今週の一句
「 シャキシャキと 熱塊削る 蝉の声 」
―もとゐ―


2000年8月6日() 主の変容 マルコ 9:2〜9


9:2
六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、
9:3
服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。
9:4
エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。
9:5
ペトロが口をはさんでイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」
9:6
ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。弟子たちは非常に恐れていたのである。
9:7
すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」
9:8
弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。
9:9
一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない」と弟子たちに命じられた。
9:10
彼らはこの言葉を心に留めて、死者の中から復活するとはどういうことかと論じ合った。

 パンを差し出すようにイエスは私たちを招きます
 イエスは私たちの宣教活動について家族から離れ己を捨て十字架を負い生命を捨てて行うよう呼びかけていますペトロたちはその招きに応えイエスの後をついて行きましたその結果ペトロらは何か褒美をいただけるのではと錯覚していました山上で彼らがイエスの栄光の姿を見たとき特権的地位権力を授けられたと思ったに違いありません神殿建設の申し出はまさに彼らの地位を守るためだったのです教団の創設者の堕落は歴史が証明しています
 イエスの宣教は自己の栄光化ではありません彼を遣わした神の栄光化神が畏れられ敬われ崇められるためです即ち生命あるすべてのものが喜び生きるためなのですしかしそのためにはイエスのように互いが無となり仕え合わねばならないのですイエスの服の真っ白さは自己の栄光化ではなく虚無化十字架上まで己を捧げ切ったことの徴なのです
 私たちは無になることではなく有になることを望んでいますしかしそれによって自己を喪失しているのが現代社会ではないでしょうか今日はヒロシマ原爆忌戦争はまさに人間が有になろうとした結果ではないでしょうか人との争いも他者より優位に立とうとするから生じるのです
 イエスのように神に頼って自己をささげましょうそして先進国が富を放棄し貧困を無くし暴力を根絶するよう働きかけましょう


今週の一分間説教 Gospel on this week