ももちゃんの一分間説教

今週の一句
「 ヒヨドリや 嘴染めし 赤椿 」
―もとゐ―


2000年2月27日() 年間第8主日 マルコ 2:18〜22


2:18
ヨハネの弟子たちとファリサイ派の人々は、断食していた。そこで、人々はイエスのところに来て言った。「ヨハネの弟子たちとファリサイ派の弟子たちは断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」
2:19
イエスは言われた。「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客は断食できるだろうか。花婿が一緒にいるかぎり、断食はできない。
2:20
しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その日には、彼らは断食することになる。
2:21
だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい布切れが古い服を引き裂き、破れはいっそうひどくなる。
2:22
また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は革袋を破り、ぶどう酒も革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。」

 イエスの「今」はカイロス決定的「今」神の国の開始した今です
 悪霊憑き「重い皮膚病」の人「中風」患者収税人レビ彼らはユダヤ教では疎外され人生を苦しみ悲しみのうちに過ごさせられていましたユダヤ教の指導者たちは彼らの塗炭の苦しみを思いやることなく自己の救いのみに関心がありました彼らにとって「今」は昨日の延長繰り返しの「今」にしかすぎません従って決まりきったことを遺漏なく反復することが一番の関心のため病人を癒すことなどする訳がありませんかくしてユダヤ教では永久不変に病人や「罪人」と呼ばれた人々には人生の喜びが与えられないのです
 その「今」をイエスは切断しカイロスを始めたのです神は遠くの神ではなく病人らを顧みられ彼らに人生の喜びを与える近くにいます神になったのですまさに「今」は婚礼の時祝宴の時になったのです
 私たちはイエスにその祝宴に招かれ人生に喜びを見出したはずですであるならば私たちは人生を悲嘆のうちに生きている人々を祝宴に招き喜びを分かち合うことがイエスへの応答ではないでしょうか
 さあ日常性を断ち切りカイロスの「今」を生きましょう

今週の一句
「 春雪や 膨らみし芽の 綿帽子 」
―もとゐ―


2000年2月20日() 年間第7主日 マルコ 2:1〜12


2:1
数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、
2:2
大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった。イエスが御言葉を語っておられると、
2:3
四人の男が中風の人を運んで来た。
2:4
しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。
2:5
イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。
2:6
ところが、そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えた。
2:7
「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」
2:8
イエスは、彼らが心の中で考えていることを、御自分の霊の力ですぐに知って言われた。「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。
2:9
中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。
2:10
人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に言われた。
2:11
「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」
2:12
その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、神を賛美した。

 イエスは病者の願いに全身を持って応えます
 友人たちは「中風の者」を何とか助けてやりたいと思い屋根を開けてでもイエスのもとへ運び込みました群衆たちは黙ってそれを見守りましたイエスは彼らの友情にうたれ病者を立ち上がらせましたにもかかわらず律法学者たちは病者の苦悩や友人らの努力にはまったく無関心ですただただ自分らの正当性を守ろうとしてむしろイエスの行為の不当性を追及したにすぎないのです
 組織や社会は一旦秩序が立てられると守勢になります秩序を破る者がいると当然排除しますユダヤ教は病人を罪の結果とみなし罪人と呼んで自らの「清さ」を保つために「汚れ」である「罪人」を排除する宗教体系となっていましたそれゆえにイエスの罪をゆるし結果的には病人を癒す言動は許しがたいのです
 しかしイエスにとっては今や神の国が始まっているのですユダヤ教を超えて神が働いているのですイエスの神は病者を見捨てることなくむしろ近づき介抱し癒し生きる喜びを与えてくださる方なのですイエスはユダヤ教にではなくそこに立っていたのです
 さあ私たちも他者との関わりはこのイエスの視点神のみ心に立って行いましょう

今週の一句
「 春雪や サイレン聞かざる 夜明ける 」
―もとゐ―


2000年2月13日() 年間第6主日 マルコ 1:40〜45


1:40
さて、らい病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。
1:41
イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、
1:42
たちまちらい病は去り、その人は清くなった。
1:43
イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、
1:44
言われた。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」
1:45
しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。

 イエスは歩きます宣教し悪霊を追い出すためにそして後に従えと私たちを招きます
 重い皮膚病の人がイエスのところに来ました古代ユダヤにおいては一旦その病に罹れば治癒するまで「汚れた者」として隔離され人間的権利を一切奪われ生きざるを得ませんでしたユダヤ教の祭司たちはその者を「汚れた者」と烙印を押しさえすれ彼を救うことしませんでしたユダヤ教支配社会はその病者を取り巻くすべての人間をして彼を「汚れた者」と呼ばせていたのです
 彼はそんな社会にいるイエスに投げかけたのです「もしあなた様がお望みならば清めていただけるのですが」(マルコ 1:40)※即ち「人々は私を汚れた者と呼ぶのですがあなたもそう望んでいるのですかそれともあなたはわたしを清い者と認めてくれるのですか」とイエスは答えた「もちろんだ清くされよ」(マルコ 1:41)※つまりイエスは他の誰もそう思わなくても私はあなたを清い者と認めると言ったのです
 病者にとってその一言が彼を癒したのです自分がはじめて肯定されたことによってそれまで誰からも拒否され続けた自分をイエスが受け入れたことに人間性を取り戻したのです
 イエスは病者の問いかけに暢気に八方美人的に答えたわけではありません何故ならば祭司以外には病者を「清い」と言えなかった社会にあってイエスの答えは死刑に値する禁忌だったからですにもかかわらずイエスがそう答えたのは死を賭けてるということなのです
 病者にはそのことがわかりすぎていたからこそなおイエスの言動は感嘆すべきものだったのです
 さあ私たちもイエスの死により受け入れられ甦ったことを想うとき苦難にある人々に手を貸す者になりましょう
 ※岩波版新約聖書

今週の一句
「 立春や 浮かれし我に 風しみる 」
―もとゐ―


2000年2月6日() 年間第5主日 マルコ 1:29〜39


1:29
すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。
1:30
シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。
1:31
イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。
1:32
夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。
1:33
町中の人が、戸口に集まった。
1:34
イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。
1:35
朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。
1:36
シモンとその仲間はイエスの後を追い、
1:37
見つけると、「みんなが捜しています」と言った。
1:38
イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」
1:39
そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。

 悪霊憑きを癒されたイエスは後に従えと私たちに呼びかけます
 イエスは出かけて行きますシモンの家へ人里派離れた所へそしてガリラヤ中の会堂へ足を運びますそれは悪霊を追い出し病気を癒すためです
 弟子たちの「みんなが捜しています」(マルコ1:37)の問いにイエスは答えます「そのためにわたしは出て来たのである」(同1:38)
 イエスが誰であり何をしたのか詮索する間もないのです
 キリストの教会はどこにあるのでしょうか苦しみにある人々と共に在るところに見出されるのではないでしょうか
 さあわたしたちの教会がそうあるようにイエスといっしょに祈りに出かけましょう


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