今週の一句
柿の実や 山里染まり 日暮れかな

―もとゐ―


 2020年10月18日(日)
 年間第29主日

 マタイによる福音書22章15-21節

22,15 〔そのとき、〕ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。
22,16 そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。
22,17 ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」
22,18 イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。
22,19 税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、
22,20 イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。
22,21 彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」

 イエスとエルサレムの権力者、支配者との論争が続く。そもそも、論争の意図は、後者たちのイエスを亡き者とする理由を見つけるための政治的罠であった。彼らは前二回の譬えからもわかるように、神からの幸いへの招きに背き、バアル神の富と権力に執着し、ユダヤの民を苦しめていたのであった。イエスとの対立は、宗教の名を借りた彼らの既得権益を守る生臭いものであった。

 さて、今回の論争は「皇帝に税金を納めるべきか、否か」だ。もともと、イエスの答えからイエスを捕らえるためだから、イエスが「然り、イエス」と答えようが、「否、ノー」と答えようが、どちらも、前者であればイエスをユダヤ教民族主義への反対者として、後者であればローマ皇帝への反逆者としてイエスを捕まえられる問いなのであった。だから、蛇のように『賢い』イエスは答えずに、逆に、彼らに問い返したのだ。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に納めるがよし」と。

 つまり、お前たちは皇帝への税金納入を問題にしているが、神のためと言って、貧しい者たちから「神殿税」を強制徴収し、更に困窮させていることを何とも問題だとは思わないのか、とイエスは彼らに皮肉っているのだ(田川健三『イエスという男』)。教会が「命を守る」と言いながら、ミサだけで何一つ具体的な働きをしないなら、イエスから何と皮肉られるだろうか。 

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