今週の一句
空青く 雲白くして 銀杏紅葉

―もとゐ―


 2017年12月10日(日)
 待降節第2主日

 マルコによる福音書1章1-8節

1,1 神の子イエス・キリストの福音の初め。
1,2 預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの道を準備させよう。
1,3 荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、
1,4 洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。
1,5 ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。
1,6 ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。
1,7 彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。
1,8 わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」

 福音書では洗礼者ヨハネの登場を、イザヤ書40章からの言葉で表現している。

 イザヤ書40章は第二イザヤと呼ばれた預言者の言葉だ。第二イザヤは、前586年にバビロニア帝国によって滅ぼされたユダ王国の王をはじめ主だった人々がバビロニアに捕虜として連行された、所謂、バビロニア捕囚(~前539年)の終わり頃に活動した人。彼は捕囚民がその解放を待ちわびて神に祈り続けたが、50年実現しないことに諦めと絶望していたころに神の使いメシヤの到来を語ったのだ。「慰めよ、慰めよ、希望を持て」と。そして、イザヤは言う、「主の道を備えよ」と、即ち、神が捕囚からの解放に来られるから、王の軍団に道を準備するように、道を備えよ、心を神に向け直せと叫んだのだ。

 そのことから、福音記者は洗礼者ヨハネを第二イザヤになぞらえたと言える。ローマ帝国の圧政下、重税と律法の重荷に塗炭の苦しみに喘いでいたユダヤ民衆を救うメシアの到来、キリストを告げる者であると見なしたのだ。第二イザヤはメシアの到来を告げながら、そのメシヤがペルシャ帝国のキュロス王であることを受け入れない捕囚民に向かって、偶像、即ち、この世の権力、富、知を捨てて、神に帰ること、つまり、道の備えを訴えたように、洗礼者ヨハネは神殿祭儀、即ち、生贄を捧げることに頼らずに、悔い改めの洗礼を受けよと叫んだのであった。ヨハネは人々が神の言葉を、禁欲的に厳格に守って生きることが罪のゆるしを得ること、つまり、道の備えだと勧めたのだ。  

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