今週の一句
甲高き カラスの鳴き音 天高し

―もとゐ―


 2019年10月20日(日)
 年間第29主日

 ルカによる福音書18章1節-8節

18,1 〔そのとき、〕イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。
18,2 「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。
18,3 ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。
18,4 裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。
18,5 しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」
18,6 それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。
18,7 まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。
18,8 言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」

 今日の譬えのイエスの語った本体は2から5節で、前後はルカの編集句と言われる。(田川健三『新約聖書 訳と註2上』)

 イエスが弟子から教えてくれと言われて答えた祈りが「主の祈り」であった。それは、神に願い事を述べるのではなく、自分たちの運動の合言葉、即ち、その目的を指すものであった。また、イエスが群れを離れて一人祈ったと福音書に書かれているが、それも願い事するのではなく、自己を顧み、再び、神の呼び掛けに応え立ち上がるためであった。また、からし種一粒の信頼があれば、山を動かすことができるとのイエスの発言がある。それらのことから、祈り続ければ願いが叶う、とイエスは言わなかったのではないか。

 では、『裁判官とやもめ』の譬えでイエスは何を語ろうとしたのか。やもめの必死さに比べて、やもめを軽く見てさぼろうとする裁判官を批判しているのではないか。イエス当時の裁判官役は律法学者が担っていた。その世間的評価の高い裁判官としての律法悪者たちがしていることは、本来の義務、つまり、神との契約「弱者の保護、権利擁護」を忘れているのが実情ではないか、と偉ぶっている律法学者を批判しているのだ。 

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