今週の一句
麗らかな 夢みて楽し 苗選び

―もとゐ―


 2019年4月21日(日)
 復活の主日 日中のミサ

 ヨハネによる福音書20章1-9節

20,1 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。
20,2 そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」
20,3 そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。
20,4 二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。
20,,5 身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。
20,6 続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。
20,7 イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。
20,8 それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。
20,9 イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。

 今から、73年前、愛する人、肉親を亡くし、焼土化した故郷を目の当たりにした日本人は、再び、その惨禍が起きないように、戦争放棄、武力不所持を決意し、平和世界の建設に貢献できる現憲法を制定した。

 しかし、今や、再び、戦争の出来る国に変え、軍事費の増額は国民の生命、人権を脅かしている。何故、人はこうまで愚かになったのだろうか。敗戦により、無一文になった日本経済は早い復興を目指した。それを後押ししたのは、皮肉にも、何と戦争であった。不戦を誓い、戦争のない世界を目指して最出発したのもかかわらず、日本の経済成長は朝鮮戦争、ベトナム戦争の特需によって息を吹き返すこととなったのだ。従って、日本経済の落ち込む今、戦争による経済成長を企むのも止む無しか。天皇制の再利用もそれに繋がる。戦争のため死んでも、天皇によって靖国神社に祀られるのでよしとする戦前の価値観を甦らそうとしているのではないだろうか。経済成長による人間の幸福と言う亡霊に取りつかれた人には、平和な世界を望むべくもないのか。

 イエスが目指した、すべての人がたいせつにされる、平等社会の実現は、金曜日、話した為政者、日和見主義の群衆、即ち、私たち利己主義に生きる者人々から拒否され、潰されてしまった。それを当たり前、この世の常、イエスはただの夢想家と切り捨てていいのだろうか。

 否、ナイン、ノー、と叫ぶことがイエスを復活した、と言うことではないか。まさに、暗闇に灯る「小さな、小さな光」なのではないか。

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