今週の一句
夕立や 喉元潤む 天の水

―もとゐ―


 2018年8月19日(日)
 年間第20主日

 ヨハネによる福音書6章51節-58節

6,51 〔そのとき、イエスはユダヤ人たちに言われた。〕わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」
6,52 それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。
6,53 イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。
6,54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。
6,55 わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。
6,56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。
6,57 生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。
6,58 これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」

 古代イスラエル人は人生の荒野を歩むには、神のことば、指針、つまり、モーセから民に与えられた天のパン、に従うことが神の国、幸いに到達すると信じた。しかし、神より、富や権力に従い、ついには、国家滅亡、追放、補囚とされたのは紀元前6世紀であった。

 ヨハネ福音書の書かれた紀元1世紀末も同様にローマによるエルサレム滅亡、追放の時代であった。ユダヤ人(紀元前6世紀以降、補囚から帰った古代イスラエル人の子孫を呼ぶ)は国家再建の求心力であったエルサレム神殿が破壊されたことによって、生き方の羅針盤を失った。

 エルサレムを脱出したユダヤ人指導者は神のことば、いわゆる、「律法」を厳格に守ることを誓い再出発した。その際、ユダヤ教ナザレ派すなわち、キリスト教を異端と宣言し、迫害することとなった。その激動のなか、イエスを「神の子」、「神から派遣された者」と信じるヨハネ共同体は、「律法」ではなく、真の神の言葉であるイエスに従うようメンバーに呼びかけたのであった。

 イエスは互いを大切にし合い、友のために命を尽くしたのであった。聖餐式でそのイエスを食べ飲むのは、すなわち、イエスを糧とし生きることを約束するのだ。

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