今週の一句
金木犀 姿なくとも 正体見たり

―もとゐ―


 2017年10月15日(日)
 年間第28主日

 マタイによる福音書22章1-14節

22,1 〔そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに〕たとえを用いて語られた。
22,2 「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。
22,3 王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。
22,4 そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』
22,5 しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、
22,6 また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。
22,7 そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。
22,8 そして、家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。
22,9 だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』
22,10 そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。
22,11 王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。
22,12 王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。この者が黙っていると、
22,13 王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』
22,14 招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」

 イエスは「神の国は近づいた。」と、私たちをその中に身を投じて生きよ、と招かれた。「神の国」とは誰もが幸せになるところ、生きていて良かったと思える様を言う。しかし、そのためには、神の言葉を守らなければならない。互いを大切にする、と言うことを。けれど、私たちは日頃の生活を守るために自己中心的生き方をしてしまいがち。特に、日本の「自己責任論」の強い所では。それに対し、「神の国」に生きる者は互いに助け合うのだ。旧約聖書の「寄留者、寡婦、孤児を大切にしなさい。」とはそのこと。イエスはまさに私たちを「福音」に招かれている。

ももちゃんの一分間説教バックナンバー

ももちゃんの一分間説教No.7、8販売のご案内


戻る