「バベルの塔」

名古屋ダルク後援会代表 竹谷 基


 ご存知のように、旧約聖書の創世記には『バベルの塔』という物語がある。その要旨は、人間が力の誇示に天まで届く高い塔を造った。それを見た神がこれを放置すれば人間は何をしでかすか分からない、とそれまで一つであった人間の言語を多数に分けて、相互理解を不可能にして人間を全世界に散らばしたと言うお話し。いわゆる、『原因譚』の一つ、何故、人間の言葉は多数に分かれているのかを説明している。

 さて、『バベルの塔』は第三の追放と呼ばれる。第一は、アダムとエヴァの楽園からの追放。第二は、カインのさすらいの地への追放。そして、全世界への追放だ。元々、神から人は共同体に生きる者として創られ(アダムとエヴァ)、神の創造された「極めて良い世界」を任され、「耕し、守る」ことを生涯の使命として与えられた。しかし、人は神から使命と自由を与えられたが、それを生きるにあたって同時にルールも示された。つまり、人が野放図に自由を行使したらとんでもないことになるので、神はそれだけは食べてはいけない(原語では食べるはずがない、英訳you shall not eat of it WEB(World English Bible) と、人との契約を結んだ。

 ところが、人は神、全知全能になる誘惑に負け、食べてしまい、神は契約に反したとして人を楽園から追放し、人は苦難の人生を歩むこととなった(創2,3章)。第二の追放は、カインによる弟アベルの殺害だ。神になろうとした人は、ついに、自分こそ一番と他者の命を奪う暴挙を起こした。神はカインをさすらいの地、無法の世界に追放した。

 これらの物語は、人の愚かさをよく語っていると思われる。つまり、人はほっておくと何をしでかすか分からない。そのためには、生き方の指針がなければならない。「神になるな、他者を尊重し、共に生きろ」との理念を互いに守る約束をするように神は人に呼びかけた。それを、旧約聖書では追放から楽園の帰還、「救いの道」と言う.ナザレのイエスもそれを呼びかけた一人だ。

 さて、現代世界は支配者が野放図に権力を行使している。日本に限っても、うそ、偽り、誤魔化し、恫喝によって国民を無視し、原発、軍事力など支配者の都合の良い政策に暴走している(堤未果『日本が売られている』)。まさに、支配者たちは神になって「バベルの塔」建設、即ち、経済成長、軍拡、覇権を競い合い争っているのだ。いつも犠牲となるのは、弱い立場の人たちだ。支配者は彼・彼女らを「棄民」しても構わないとする(例 世界の富豪上位26 人が独占する資産は約150兆円に上るという。世界人口の半数に当たる貧困層38億人が持つ資産とほぼ同額だと指摘した. NGOオックスファム)。

 今の日本の政治にはうんざりだ。天に届く「バベルの塔」ではなく、小さいながら、地道に、共有し、一人ひとりと大自然を大切にし合う共同体を創らなければと国会中継を見ながら独り言った。
いつもの皆さまのダルクへのご理解とご協力に支えられている「薬中」の仲間ダルクはその一歩です。真に感謝いたします。引き続き、

 みなさまと一緒に歩んで行きたいと思います。よろしくお願いいたします。



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