「『国』について考える」

名古屋ダルク後援会代表 竹谷 基


 2月14日、日本ではバレンタインのチョコで浮かれていた中、また、米国で銃乱射事件が起き、17人もの犠牲になったとの悲しいニュースが流れた。その度(米国内の銃が使われた事件は13年以降で291件もあった。)に、銃規制の声が上がるけれど、規制は為されず、またぞろ、悲劇が繰り返される。それは、政権を支持する「全米ライフル協会」に配慮するからと言われる。「剣を取る者は、剣で滅びる」とイエスの言葉を待つまでもなく、アフガニスタン、イラク、シリア紛争、等が武力では決して解決することなく、報復の繰り返しがますます泥沼化していることを示している。

 しかし、安倍政権の北朝鮮・中国の脅威を声高に、「圧力、圧力」と叫んで、軍備増強に突っ走っている姿は異様としか思えない。また、福島原発事故で明らかになったように、原発の安全性、経済的安価なエネルギーとの神話は崩れ去ったにも関わらず、安定した電力供給のためと再稼働に走っている。さらに、憲法の改正により、個人の生命人権を守ることから、明治憲法のように国家、公益に奉仕するため基本的人権を制限しようとしているそれは、米国の政権がライフル協会と癒着して、増え続ける国民の犠牲を強いていると同じく、安倍政権は軍事産業、多国籍企業のため国民を犠牲にしているとしか見えない。

 国は国民を守るはずが、実は国民を犠牲にする、と警告を発していることが何と紀元前6世紀に纏められた旧約聖書に書かれている。古代オリエント世界で社会の最下層の移動する民であったヘブライの人々が紀元前1300年頃、現在のパレスチナの空白地帯に侵入して定着し始めた。貧しく農業には適しない地域を長年の苦労によって、地中海の必需品であるぶどうとオリーブの生産地に変えて行き、その輸出によって経済的にも豊となった。すると、その産物、富を狙って近隣の国家が職業軍隊を使って征服収奪に来るようになった。軍隊を持たない、ヘブライの人々は、農民が手弁当で鎌と鋤を持って応戦し、撃退するしかないが、如何せん、プロの軍隊には適うわけがない。そこで、彼らはサムエルと言う指導者に「近隣の諸国のように王を頂いた国にし、正規の軍隊を持ちたい」と要求した。それに対し、サムエルは神ではなく人である王に仕えると、自由を奪われ、奴隷になるしかないのだと次のように警告したのであった。「あなたたちの上に君臨する王の権能は次の通りである。まず、あなたたちの息子を徴用する。それは、戦車兵や騎兵にして王の戦車の前を走らせ、…王のための耕作や刈り入れに従事させ、あるいは武器や戦車の用具を造らせるためである。…また、あなたたちの娘を徴用し、香料作り、料理女、パン焼き女にする。…また、あなたたちの最上の畑、ぶどう畑、オリーブ畑を没収し、家臣に分け与える。…こうして、あなたたちは王の奴隷となる。その日あなたたちは、自分が選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ。しかし、(神)はその日、あなたたちに答えてはくださらない。」(サムエル記上8・11-18)このサムエルの警告に耳を貸さなかった民は、王国を形成するが(紀元前1、000年頃)やがて国を失い、他国へ奴隷として連れて行かれることとなった。(前720頃、北イスラエル、アッシリアによって滅亡。前586年、南ユダ国、バビロンによって滅亡。)

 そのように、紀元前6世紀の旧約聖書の時代から、王政国家への危険性の警告はあったけれど、21世紀の今日まで、国家に代わる政治体制は考えられていない。ますます、国民は奴隷化されている。過労死するまで残業が増える働きかた改革や、国家・企業のために役立つ人材を育てる教育もその例であろう。人の価値が有用性でしか測らない社会にあっては、人は薬物、アルコール、ギャンブル、等に頼ってしか生きられない人が増えるのではないか。

 2000年前、ナザレのイエスはローマ帝国とその傀儡政権であったユダヤ人指導者の下、疲弊し倒れていたガリラヤの民衆に代わって、叫んだ「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい」(マルコ福10・41-44)と。向かって既存の国家の横暴を許さないためには、支配者にその遵守を義務づけ、国民の主権、個人の基本的人権を保障する現日本国憲法を私たち国民が守り、実行されるように注視して行くしかない。ダルクの活動は、また、憲法遵守の働きであるとも言える。

 みなさま、どうか、薬物、等に依存して生きるに困難を抱えている人が幸いな人生を送れるよう、その回復に努めている名古屋ダルクの働きを応援してくださいますようお願い申しあげます。



戻る