ダルクの仲間達


ヤマザキ

 私は、幼少の頃親の財布からお金を抜いたり、友達のおもちゃを勝手に持ち帰り、その度、親に叱られていました。その為「自分は手癖が悪い」とは認識していました。

 盗癖は大人になるにつれてエスカレートして、洋服を試着室で値札を外しカバンに入れ盗むとか、食料品・日用品をショッピングカートに山積みしたままカゴヌケしました。主婦時代には、万引き行為は日課となるまでに悪化していました。こうした日々は、「どうして自分はこんな悪いことをしてしまうんだろう。」「誰にもバレなくても神様は知っているから地獄に落ちる。」と自分を責め苦しく、そして「もう決して万引きなんてしない!」と決心し、またフラフラと万引きに出かけるという状態でした。

 また、性格的に「○○しなければいけない。」「○○すべき」という思い込みにとらわれるところがあり、学生の時は、ガリ勉学生・子育て期は、ほとんど育児ノイローゼというありさま。家庭生活でも一人で背負いこみ過ぎて重いうつ病にかかり、長い長いトンネルの中で一人苦しんでいました。

 ついには、家族(主人や子ども)に知れることになり、初めは「どうにか対処してあげたい」と考えてくれる時期もありましたが、結局、犯罪者とは縁を切る形で家を出され離婚となりました。長い時をかけ、精神病院や占い師などをさまよい、やっと昨年9月に名古屋ダルク・NA・KAに出会いました。最初は恐る恐る扉を開きふるえて席に座り仲間の話を聞いていました。すると「自分と全く同じだ、もしかしたらここでなら治せるかも。」といつしか安心感に包まれていたのです。

 施設に繋がり早くも11か月になりました。「治せるんだ。」と信じ通い始めたものの、ミーティングと運動プログラムのみ・・・私は何をすればいいのか?本当に回復できるのか?と思いつつ漫然と通っていました。半年を過ぎた頃、私はまた自転車窃盗をしてしまいました。「いつも置いてあるボロボロの自転車だから家に乗って帰り、またここへ来るとき乗って戻しておけばいいや!うまくいけばこれからいつもこうして使える。」と考えたのです。捕まって検察官に言われたのは「ちょっと使っただけと思っているかもしれないけれど、あなたのした事は計画性があり、単なる万引きより悪質だ。」でした。本当にその通りで、最後の頃の万引きも、しっかり計画した上に見つからないためにはどうすべきか?まできっちり考えていたのです。私の悪知恵(アディクション)はここまで重症化していたのです。でもこの事件の時、正直に主人に話したり仲間に伝えたのだ、隠さずいることの気持ち良さを私に教えてくれました。

 このように毎日仲間と一緒に生活する中で発生する色々な関係性(問題)から、自分の性格上の欠点に気づかされること。ミーティングの中で「自分の感情と一緒だ。」と思える話に出会えることなど、具体的な出来事を改めて自分の行動に当てはめて考えていくことが、ここでのリハビリなのかな?と思える様になりました。そして過去の自分を丁寧に棚卸しし、その時の気持ちと感情を思い起こしてどこが間違っていたのか?自分のどの部分を変えて行くべきなのか?を考え日々のプログラムに取り組んでいます。

 今までに私が覚えたことは、以下のことです。
一、  正直になる。(とてもむずかしい)
一、  自分の行動にいつも気を付けている。(怒りやイライラになるとき)
一、  体力をつける。(毎日ベストをつくす)
 これからも仲間の力を借りて対人関係の作り方を練習し続け回復できるよう頑張りたいです。

シバタ

 私が薬物と出逢ったきっかけというものは、付き合っていた彼女に最初に覚せい剤を教えてもらいました。最初は怖くてやりたくない気持ちがあったのですが、やりたい気持ちもありまして、やってしまいました。

 1回で止めようと思ったけど、次から次へとどんどん止まらずにやっていました。そして中学校時代の友達を呼んで一緒にやりました。遊んでいました。薬物でシンナーや覚せい剤などを使用して、それから溺れだし、はまっていきました。仕事もして頑張っていたのですが、薬を使うことでできなくなりました。

 そしてある日ある人に脅しをしてしまい、そのお金で薬物を買いに行きました。それがきっかけとなり尿反応をとられて、覚せい剤が判明され逮捕されることとなったのです。そして、刑務所へ行くと仕事をしなくてはいけなかったのですが、薬物の不安、体調の悪さが伴い、独居生活するはめになりました。覚せい剤依存症の為、頑張ることができず頑張れず独居生活を送る6回の刑務所生活を送りました。覚せい剤は非常にまずい、やってはいけないものだと知ったのです。当所に入寮してからは、最初はありがとうと思いましたが、馴れてきてからは、どうもうまくいきません。それから2ヶ月が経ちお酒を飲みリラプスしてしまいました。気分が憂鬱でした。

 仲間そして代表の顔を思い出して頑張る、励んで頑張ることとしました。その後、罪悪感がわくこともあるが、しかし当然覚せい剤のこともふくめ欲望と絶望の渦のなかと、愛情のなさと友のなさと照らし合わせると、かけがえのなさと振り返ってこれではいけないと考える同じ毎日を暮し、何とか峠を越え立ち直ったのでした。それから、普通にプログラムを受けまして頑張れる人になってきております。

 今ではこうです。頑張るぞう、こうです。今後はプログラムをしっかりして直す。365日性格を直す、性質を直す、頑張ってしっかりして薬物中毒を根本的に治していく。頑張ってやります。ダルク生活を頑張るしか、他なさそうです。希望が見えます。何分刑務所に入るとき、万引きをしてしまった事です。反省はしました。動揺しましたが、刑務所は怖い、もう二度と使用したくない、入って14年の刑務所生活では怖い経験をしたことにより、充実感がなくなったのでした。充実感を求めるため、なお、復帰しなくてはいけません。多くの仲間とふれあいの生活をしなくてはなりません。僕はこの可能性に向けて一歩頑張っていきます。

 

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