「木曽路」

名古屋ダルク後援会代表 竹谷 基


 「木曽路はすべて山のなかである。」縁あって木曾谷をドライヴすることとなった。まあ、お見事!その日は快晴で、空の青さと谷を挟む高い山並みの緑の美しさに圧倒された。同時に、脳裏に過ぎった。「日本の他の地域でも同様な景色が広がり、見る人を感動させているだろう。しかし、もし、この美しい自然から人々の命と暮らしを音もなく破滅に導く放射線が出ているとしたら、何と残酷なことかとゾッとした。人間を豊かにするはずの自然が人を傷つけるとしたら。もちろん、大自然が悪いわけではない。自然を破壊した人間の悪がそうしたのだ。どう自然に謝れるのか。」

 言うまでもなく、東北福島の山地では2011年の第一原発事故から今日まで放射線が放出し続けられている。結果、住民はすべてを失い、10万人が将来の見通しなく避難し、帰郷できない難民生活を強いられている。さらに、子どもの甲状腺ガンの発症率が高まっていると言う。エネルギー政策として原子力発電を推進してきた日本政府は不可逆的未曽有の原発事故が起きたにもかかわらず、国民の8割の反対を無視して再稼働に邁進している。70年前のアジア太平洋戦争をはじめ原発事故、等に至るまで国策により、内外のどれほど多くの人々を犠牲にしてきても懲りなく、原発再稼働、集団自衛権の行使、沖縄基地問題、社会保障の改悪、等々により更に犠牲者を産み続けている。日本は一体どうなっているのかと嘆かざるを得ない。以前から、日本国家の「棄民」政策と言われるその理由は政府が米国と一部の大企業や富裕層の利益を生み出す御用機関になっているからではないか。

 戦争、利潤追求はヒロシマ、ナガサキ、福島と他者を犠牲にして憚らない。それは、先日の相模原障害者殺傷事件に見られる「優性思想」に繋がっているのではないか。すなわち、国や公共の利益確保のため、足手まとい、厄介者、邪魔となるものを取り除くという考えのこと。経済成長を国の第一の政策とする限り、戦争はなくならず、原発は増え続け、環境破壊、「弱者」の犠牲、排除、切り捨てはなくならないだろう。

 その人間の強欲を静かに変えて行こうとした人がいた。ナザレのイエスだ。ユダヤ教の人権思想は「誰もが平等、自由、独自な存在である」と言う。ユダヤ教とはこの理念の実現を目指すと言える。従って、古代イスラエル王国(紀元前10世紀〜6世紀)では預言者たちが利益追求する王たち、零細農民から土地を強奪し大規模単作農園の拡大を図り、王室の財産を太らせたアハブ王はじめ、支配者たちを「富という偶像に仕えて、神への背信をした」と糾弾した。その例にならい、イエスはこの「神の言葉」に愚直に応答した。当時のユダヤ社会から見捨てられ、排除され、打ち捨てられたガリラヤの貧しい人々、飢え、病む人々にイエスは目を留め、声をかけ、腕を伸ばされた。その結果、支配者から社会秩序を乱す者として処刑された。そのイエスを「99匹の羊を野原に残し、いなくなった一匹を見つけ捜す羊飼い」や、また、「怠惰で、道楽し、親の財産を食い潰した息子を喜んで迎えいれる父親」に譬えた。ガリラヤの貧しい人々はイエスの生き様に一部の支配者、富裕層のための経済効率、利益追求一辺倒の利己的社会への対抗的生き方、つまり、分与、相互扶助、共生の生き方、即ち、「神の子」を見たのだ。「小さくさせられた人々」と共に生きることは、戦争、軍拡、原発、環境破壊、に反対することに他ならない。なぜなら、それらは「小さくさせられた人」を生み、犠牲にするから。

 同様に、ダルク、「薬中」のリハビリを応援することは積極的平和主義と言える。誰もが大切にされる社会にすることなのだから。まだまだ、暑さが続きますが、どうか、みなさま、引き続き、ダルクへのご理解とご協力をくださいますようお願いいたします。




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