「一億総活躍社会」 名古屋ダルク後援会代表 竹谷 基 早いもので、クリスマスソングが流れ、この一年を振り返る時期となった。パリでのテロが象徴するように極端な格差が憎悪を拡大し、世界を覆い始めているようだ。豊かな先進国(多国籍企業に牛耳られている)はテロを口実に反抗する側を一層軍事力で押さえつけるだろう。アベ政権はその米国のお先棒を担ごうとする。曰く「積極的平和主義」、けれど、上記の意味でしかないのに、「国民の生命と暮らしを守る」と誤魔化す。その他、原発しかり、TPO、辺野古基地建設、国民への説明は誤魔化しばかり。政治以外でも、偽装が続々発覚した。利益至上主義である資本主義では当たり前か。東芝、杭打ち工事、フォルクスワーゲン、等々。今さらながら、2015年は現代世界の「金」という王に仕えた奴隷の姿の行き詰まりを見せているのではないか。 さて、カトリック教会には固有のカレンダー(一年をそれに従って祭儀を行う)がある。年の始めはキリストの降誕、つまり、クリスマスを祝うための準備としての期間を四十日前から待降節と言う。年末の最後の日曜日は「王であるキリスト※1」の祭日と呼び、「キリストにおける万物の一致と完成を待ち望んで祈る。」キリストに始まった人類の救いの働きが終末に完成するとの信仰のこと。今日、このような言表は排他主義と批判されるが、ともあれ、「王であるキリスト」の信仰を現代的な意味で考えるならば、アンチ「王である金」と言えるだろう。即ち、人間のあるべき姿、生き方は「金」に仕えることにではなく、キリストのような「人を大切にする」ことにある、と言う。※1キリストはイエスを「救い主」とする信仰上の言い方。 旧約聖書には王政への批判が見られる。就中、王を頂きたいと欲した古代イスラエルの人々に王政の害をサムエルが語った場面は有名だ。男子は徴兵に女子は懲用に取られる、官僚や軍隊のために増税される、云々と。(サムエル上8)まるで、アベ政権の「一億総活躍」かのようだ。イエスの先祖であるヘブライの民(社会の最下層、移動する人々)は周辺のエジプト、メソポタミアなどの帝国、王を頂点としたヒエラルキー社会をつぶさに見続け、人間の奴隷化を拒否する生き方を選んだ。「神の前では、人間の誰もが自由、平等、独自な存在である」と言う水平社会、つまり。アンチヒエラルキー社会だ。その理想社会を目指して連合体を成したのだった。しかし、豊かになり「普通の国」のように王を持つようになった。すると案の定、富を巡る権力争いや貧富の格差が生じた。預言者の批判にも耳を傾けずやがて、大帝国の侵略によって滅びるのであった。列王記には歴代の王たちが如何に神を背いたかを描かれている。それ以降イエスまではユダヤは大帝国の傀儡政権のもと支配者は権力争いばかりで、民は疲弊し続けて行った。 ところで、イエスは「いちばん先になりたい者」はすべての人の後、仕える人になれ、と言う。また同じく、「いちばん上になりたい者は」、すべての人の僕になれ、と弟子に教えている。「いちばん先、いちばん上」※2と訳されている語は「ローマ皇帝」を指すとも考えられる。従って、イエスのその言葉はアンチ・ローマ皇帝と言っていだろう。そして、「仕える」「子どもを受け容れる」は社会の最底辺の人々、権利を失った人々を大切にしたイエスの生き様を示している。以上のことから、イエスをキリストと信じ、世間一般の意味の「王」と呼ぶことは不適切となる。※2 序数詞「第一の」をそのまま名詞として用いてる。ローマ帝国の皇帝は「第一人者」と呼ばれる。(田川健三) さて、聖書にはそのイエスを「真理」を証しするために来た、と言う。「真理」とは何かと嘯くポンティオ・ピラトのように現代世界はいちばんの富、権力、利益を得ようと偽り続ける。それへのアンチとしてイエスは「真理」の証し人なのだと聖書は告げる。クリスマスのイエスが「馬小屋」で誕生した物語は、アンチ・ローマ皇帝の意味を表す。 嘘の蔓延する現代世界は人を人としない暴力的だ。それを愛と平和な世界に変えるには、イエスのような「真理」に生きる、つまり、人を人とする、誰をも大切にして行く生き方、これこそ真の「一億総活躍」にして行くことではないか。ダルクの仲間との連帯はその一つではないでしょうか。 今年一年のみなさまのご理解とご協力を感謝します。来る2016年も引き続きご協力くださいますようお願いいたします。 みなさまに、よきクリスマスと新年が来ますようにお祈りいたします。
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