「危険ドラッグ」


名古屋ダルク代表 柴 真也


 短い春が過ぎ、暑い陽射しが照り始めました。皆様、お久しぶりです。名古屋ダルクの柴です。さて今回は大きな社会問題となっている危険ドラッグについてお話ししたいと思います。ここ数年、ダルクへの危険ドラッグの相談も増加しました。では「危険ドラッグ」とはなんぞや?あれは「毒」です。そもそもドラッグ(薬物)ではありません。ドラッグに似た化学式を持つ有害な毒。危険ドラッグを使用し、例えば病院に運ばれたとき、使用したドラッグの化学式もわかりませんから、正しく治療できないそうです。ある意味、覚せい剤よりも厄介なシロモノです。

 では何故流行るのか?気軽にスマホや街で買えること。使用しても逮捕されにくい。 危険ドラッグとはドラッグとしては、ある意味安値な粗悪品とも言えます。粗悪品ゆえ販売している人は使わないそうです。名古屋ダルクでは危険ドラッグの相談、リハビリもできます。リハビリし健康を取り戻しているメンバーもいます。チープな悪夢を終わらせて、素敵な人生を共に歩きませんか?もし皆様の近くに危険ドラッグので困っている方がいましたら、名古屋ダルクを教えてあげてください。


「繋がり」


名古屋ダルク職員 村瀬 光幸

 
名古屋ダルクに繋がって4年2か月が経ちます。入寮当時の自分はすごく重症で壊れていました。それから、ダルクで回復のプログラムが始まり、今元気になったのは、やっぱりダルクのおかげです。ダルクの職員になって、はや2年目に入りました。職員をやり始めたときは、すごく不安ばかりで失敗をしたらどうしようと考えると、絶望的になっていました。それでも何度も辛い壁に当たりましたが、そこで逃げたら全部放棄をすることになると気づきました。今はダルクの職員をしながら、仲間とともに生活をしながら色々と仲間に教えてもらっています。最近は町内会の行事に参加をしながら、町内の人たちといろいろかかわりを深めながら生きたいです。

「居場所」

名古屋ダルク職員 鈴木 正勝

  「生まれてすみません」…。二十歳(はたち)の頃に1年間実家に引きこもっていた私は、作家太宰治のそんな一文が当時の私の想いを代弁してくれた様に感じた。若者の代弁者と言われていたロック歌手の故 尾崎豊にも私はハマった。尾崎といえば有名な曲が2,3あるが、中でも私は「路上のルール」という曲が好きだった。この曲の詩だけを見ると何が言いたいのか今だによくわからないが、言葉で説明できない想いが何だか共感出来た気分になる。

 二十歳の頃の私には、心の拠り所となるものが、小説や音楽の中の世界にしかなかった。世間との関わりを持てず、隠れ家のような狭い小部屋でそれらに浸っていたら、やがて「死」を考えるようになった。そんな時に薬物と出会い、今度はどっぷりとそれにハマったことで「死」を考えることはしなくなったが、その結果、自分の安全な居場所であった小部屋よりももっと狭い病院の保護室と刑務所の独居房に入ることになった。たしかにそこもある意味安全ではあったが、居心地は悪かった。出所してダルクのような自助グループにつながり、同じ悩みを持つ仲間が与えられた。仲間の話は私の想いを代弁しているように感じた。あまり言葉を持たなかった私は徐々に自分の過去の話を自分の言葉で仲間のように話す努力をした。そこでようやくありのままでいられる自分の心の「居場所」が与えられた気がした。

 未だ苦しんでいる人達の為にも今後も自助グループとして居場所を提供し、私は仲間の代弁者のような存在になることが望みです。何が言いたいのか自分でもわからなくなってきたので、このあたりでペンを置きます。最後まで読んで頂き、ありがとうございました。



戻る