「生まれてすみません」…。二十歳(はたち)の頃に1年間実家に引きこもっていた私は、作家太宰治のそんな一文が当時の私の想いを代弁してくれた様に感じた。若者の代弁者と言われていたロック歌手の故 尾崎豊にも私はハマった。尾崎といえば有名な曲が2,3あるが、中でも私は「路上のルール」という曲が好きだった。この曲の詩だけを見ると何が言いたいのか今だによくわからないが、言葉で説明できない想いが何だか共感出来た気分になる。
二十歳の頃の私には、心の拠り所となるものが、小説や音楽の中の世界にしかなかった。世間との関わりを持てず、隠れ家のような狭い小部屋でそれらに浸っていたら、やがて「死」を考えるようになった。そんな時に薬物と出会い、今度はどっぷりとそれにハマったことで「死」を考えることはしなくなったが、その結果、自分の安全な居場所であった小部屋よりももっと狭い病院の保護室と刑務所の独居房に入ることになった。たしかにそこもある意味安全ではあったが、居心地は悪かった。出所してダルクのような自助グループにつながり、同じ悩みを持つ仲間が与えられた。仲間の話は私の想いを代弁しているように感じた。あまり言葉を持たなかった私は徐々に自分の過去の話を自分の言葉で仲間のように話す努力をした。そこでようやくありのままでいられる自分の心の「居場所」が与えられた気がした。
未だ苦しんでいる人達の為にも今後も自助グループとして居場所を提供し、私は仲間の代弁者のような存在になることが望みです。何が言いたいのか自分でもわからなくなってきたので、このあたりでペンを置きます。最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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