「したいこと」


名古屋ダルク代表 柴 真也


 名古屋ダルクの機関紙をお手に取ってくれた皆さま初めまして、そしてお久しぶりです。

 当施設はアルコールや薬物からの脱却を支援する団体です。このコーナーは私、柴のちょっと長いつぶやきや告知になります。

 今回は したいこと というタイトルでお話しします

 私は20年前、人生を自暴自棄に生き、もがき苦しんでいました。その後、同じ悩みを抱えながらも再起に向けて生きている人々と出会い、もう一度人生をやり直したいと思えるようになりました。今ダルクにはやり直そうとしている仲間たちがいます。依存症?の問題があるかもという人、良かったら私たちと一緒にやりませんか?あなたの本当にしたいことは何でしょうか?

 話は変わりますが、振り返るとしたいことを環境や病の中であきらめていたのかなと思う。勉強やスポーツ、進学に就職、そして夢や未来、人生そのものまで。今でもたいして力の無い私は仕事上の目標も達成できていませんが(笑)周りの事ばかり考え疲れてしまった時、気晴らしに音楽を始めました。

 先日、ある方にしたいことをしろと言っていただいて、すごく楽になりました。あ、していいんだ…と。今はまだヘナチョコですが、シンガーと名乗れるようになります。

 最後に戦地に赴き仲間を救出しようと行動し、命を落としてしまったジャーナリストのご冥福を祈ります。人間社会も食物連鎖ばかりなのかと思っていたこの頃、損得ではない行動は尊敬に値します。

 あなたは自分のしたいことをしてますか?


「繋がってを振り返る」


名古屋ダルク職員 村瀬 光幸

 名古屋ダルクに繋がって4年を迎えます。繋がったときは重症でどうにもならない人間でした。当時の自分は、人から何かを言われると直ぐに身構えてしまい、直ぐに攻撃をするし、腹を立てては物に当たることをしていました。

 毎年、自分のバースデーの時に振り替えると、自分の欠点が凄くわかるし、やっぱり日常生活の中にも欠点が出たりしています。直す努力はしないといけない事は分かっています。ダルクの職員をやり始めて利用者の姿を見ると自分が繋がった時のことを凄く思い出します。やっぱり、自分にとって仲間は鏡です。

 家族の関係の中でも、同じことが言えます。妹は来月、入籍をします。話を聞いた時はすごく腹が立ちました。日にちが経つにつれて、自分は妹に対して嫉妬をしていたなぁ〜、今度会ったら、おめでとうと言ってあげます。


「立ち上がって歩き出す」

名古屋ダルク職員 鈴木 正勝

  15年半前に刑務所を出所し、北関東の3か所のダルクで6年間過ごした私は、9年半程前に地元の名古屋に戻って来た。戻った当初はお金も、生きるあてもなかったので、とりあえず昔お世話になったことのあるクリニックの主治医の先生の所に相談に行った。その先生の提案に従い、一人暮らしをしながら生活保護を受け、定期的にクリニックに通うという生活を始めた。誰からも夜の自助グループに参加するよう指示は受けなかったが、私はほぼ毎日出席した。そこで新しく出会った仲間の中で少しずつ元気になり、夜はジョギングなどもしていた。あまり長く生活保護のお世話になっていたくなかったので、自立に向けてアルバイトから始め、1年半程で生保受給を打ち切り、本格的に仕事をすることにした。清掃や配送の仕事をしながら夜は自助グループに参加していたものの、ぜいたくかもしれないが、何か空しさみたいなものを感じながら生活していた。そんな時に、自助グループの中で出会った相談者の仲間に、名古屋ダルクで働かないかという話を持ちかけてもらい、4ヶ月ほど前からここでお世話になっています。しかし新しい環境になかなか馴染めず、今は何事にも無気力気味です。刑務所を出所した後は1度も薬物を使っていませんが、生き辛さはなかなか取れず、今は次のビジョンが見当たらず思い悩む毎日です。正直なところ、今はすべての事にうんざりする毎日ですが、「今日一日」を心掛けたいと思います。



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