「わたしも変わり続けたい」


名古屋ダルク代表 柴 真也


 幻想的なブルーとホワイトのイルミネーションが街並みを彩り始めました。あの綺麗なブルーの発光ダイオードを見ると日本人の力って凄いなと嬉しい気持ちになります。

 さて、今年を振り返ると危険ドラッグが大きな社会問題となっています。名古屋DARCにも相談、問い合わせがたくさんありました。取材も受け、近々新聞等にも掲載される予定です。危険ドラッグは毒です。そもそも薬ではありません。しかし、依存性になります。個人的には一昔前に流行ったシンナーみたいな位置かなという気がしますが、名古屋DARCでは危険ドラッグの相談、リハビリも提供しています。

 私は21歳でDARCに相談に行き、24歳でシラフで社会復帰しました。今年の12月で44歳になります。仲間と共に歩み、止め続けることはできていますが、変わり続け成長できているのだろうかと、ふと考えます。今年、嬉しかったことはライブハウスやフォーラムで歌えたことや『たしろさん』に出会えたこともあります。敢えて彼のフルネームは書きません。DARC創始者の近藤恒雄氏とうちのフォーラムにも来てくれてその後何度かお会いして、気さくで繊細そうなアディクトって印象です。世間からの彼の批判や悪口を聞くと私は傷つく、今の彼は私たちと同じアディクトの仲間ですから。変わろうとしている彼を見て、業界長くなって謙虚さを忘れる時もある。私も変わり続けたいと思いました。良い意味で変わり続け成長するためには、新しく出会い続けなきゃなと、最近私は色々な人達に会うことを頑張っています。

 皆さん、風邪も流行っています。お体大切にしてください。そして、私たちのことを応援してくれてありがとうございます。良いクリスマスを!


「生きる喜び」


名古屋ダルク職員 村瀬 光幸

 ダルクにつながって3年6ヶ月になります。つながった時は生きる喜びもなかったです。だんだんとシラフになってきて、生きていていいんだと感じるようになりました。今はダルクで職員をしながら利用者と共に今日一日を毎日やりながら生きる喜びをやっています。生きる喜びには、自分の体もメンテナンスをしながら疲れたなぁ〜と思ったらお風呂に入ってサウナで汗を流しながら、水風呂に入って、またサウナに入っての繰り返しをしながら生きる喜びを感じています。


「新しい生き方」

名古屋ダルク職員 鈴木 正勝

 私は10月13日より職員研修としてお世話になっていますポン吉といいます。私のダルクとの出会いは、今から15年程前で、刑務所を出所してそのままダルクに入寮したのが始まりです。その後6年間で、茨城、バンダイ、仙台の三つのダルクを渡り歩き、9年前に地元の名古屋に戻ってきました。帰郷後、ひとり暮らしをしながら仕事をして夜は自助グループのミーティングに参加していました。新しい生活を始めて少し落ち着いた頃には、週に1回自分でもミーティング会場を開けて未だ苦しんでいる仲間の人たちに良いメッセージが届けられるよう努力していました。順調に回復のレールに乗っていたように感じていましたが、時が経つにつれ生きづらさから自分自身が失望し、このままでは病気の再発への突き進む予感がしたので配送の職場を退職することにしました。そんな中、自助グループ内では私の相談者であり、名古屋ダルクで働いていた仲間からダルクの仕事を誘われ、そこでお世話になることにしました。それに伴い、長年住み慣れたアパートを引き払い、今は仲間と寝起きを共にする生活を送っています。ダルクの仕事は過去に多少の経験があるとはいえ、新しい土地では何も経験も人脈もありません。今まで私自身を支えてくださった多くの方々に感謝するダルクの活動をご理解いただき、何らかのお力添えをいただけたら幸いです。



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