「分かる」とは。

名古屋ダルク後援会 代表 竹谷 基


 「市民の生命とふるさとを守ることが議員の第一の責務」と小浜市議会議長の池尾正彦さんは語られました。小浜市議会では11年3月11日の福島原発事故後、6月に全会一致で「原子力発電からの脱却の意見書」を採択しました。小浜市のある福井県若狭地方には14基の原発ともんじゅがあり「原発銀座」と称されています。地元住民は五十年以上、原発とともに暮らしを営んで来たと言います。福島の事故以来、原発の安全神話が崩れ、核エネルギーが人間には手に負えないものであることがはっきりしました。国民の8割が「脱原発」を支持し、国の原子力政策の見直しを要求するようになりました。しかし、事故後、国内の原発はすべて止まっているなか、12年6月、国は大飯原発二基の再稼働を強行しました。そのような経過で、原発のある地元ではふってわいた「反原発・脱原発」の声に困惑、苦悩しました。暮らしのためには再稼働しかない、との地元の声は当然です。ところが、大飯原発を目の前に控えた小浜市議会は上記の意見書を採択したのでした。無論、反発や非難が商工会から上がりました。次回選挙では落選するかもしれません。それでも、市議会は全会一致で意見書を採択しました。以後、池尾さんはその真意を伝えるため東奔西走しています。何故なら、冒頭の言葉、「市民の生命とふるさとを守る」市会議員として分かった真実を隠すことはできない、伝えなければならない、たとえ、市議の職を失っても、と池尾さんは言います。

 池尾さんの言葉を聞いたとき、私は旧約聖書のエレミヤを思い出しました。エレミヤは紀元前6世紀のユダ王国で活躍した人です。その頃、ユダ王国(紀元前10世紀に成立したイスラエル王国の南を言う、北王国は既に8世紀アッシリアによって滅亡)はアッシリアに代わってメソポタミアの覇者になったバビロニア帝国によって滅ぼされようとしていました。ユダの王たちは滅亡を回避するためエジプトに頼り、バビロニアと戦おうとしました。エレミヤはそれに対し大人しくバビロニアに降伏すること、何故なら、歴史の趨勢からバビロニアと言えどもやがては滅びる、それまで大人しくしていれば滅亡を逃れられるからと、王たちに進言したのでした。しかし、王たちはエレミヤを売国奴、敗北主義者として殺害を企てたり、滅亡後はエジプトへ逃亡した人々から連行され苦難を受けたのでした。エレミヤは国際政治情勢を冷静に分析し、王国存在のために何をなすべきかが分かったのでした。(それを、聖書では「神が知らせた」と表現する。例、主が知らせてくださったので、わたしは知った。エレミヤ11・18)分かったから言わずにはおれなかったのです。黙っていれば、滅亡は明かだったのですから。しかし、王たち為政者は聞かず、弾圧捕縛したのです。

 エレミヤは後悔しました。生まれてきたことを、王たちに箴言する役割を与えられたことを。(例、ああ、わたしは災いだ。わが母よ、どうしてわたしを産んだのか。国中でわたしは争いの絶えぬ男、いさかいの絶えぬ男とされている。エレミヤ15・10)

 旧約聖書はそのエレミヤをモーセと並ぶ指導者としました。モーセは同じく苦難を負った指導者です。そして、第2イザヤの苦難の僕にも連なり、イエスへと繋がります。即ち、民、人々を導く者とは「苦難を負う」者であると聖書は描いているのです。分かったら言わずにはおれない、我が身を省みることない者として。

 今、日本は、我が身のため「見ざる聞かざる言わざる」を強いられています。しかし、池尾さん、エレミヤ、イエスから襟を正すことを教えられました。ダルク、薬物依存症者と出会った私は分かったことを伝えなければと思い直します。どうか、みなさまダルクへのご支援を続けてくださいますようお願いいたします。


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