「15才の志願兵」

ダルク後援会 代表 竹谷 基


 先日、昨年夏放映されたドラマ「十五才の志願兵」(NHK)を観た。それは、戦時中、愛知県のある中等学校であった実話をもとにしていた。戦争の情勢が日本に悪化して来たとき、兵員不足となり、その穴埋めのため、海軍が各中等学校に志願兵を出すように命じた。それを受けた学校は何とか多くの志願兵が出るよう画策した。はじめ、無関心であった三年四年の生徒たち、知的優等生の彼らは学問することが本分であるから進学すると当然考えていたから。その彼らを翻心させようと、学校は「忠君愛国」「死ぬことこそが本分」と洗脳を図った。まんまと成功し、まず四年生一クラス全員が志願を名乗りでた。彼らは、志願を拒むものを非国民、卑怯者と呼び、鉄拳制裁をするようになった。そうなれば、生徒たちは志願兵を申し出ざるを得なくなった。そうして、学校側は面目を保つことができたのであった。ドラマはそれまでの経緯を生徒、教師たちの内面を通して描いていた。

 教師たちにも優秀な生徒たちを鉄砲玉にして無駄死にさせたくないと学校側を批判する者もいたが、圧力に屈するしかなかった。志願した主人公の父親が、志願を撤回するように息子に諭すとき、「本心なら辞退してもいいんだよ」との言葉に息子が「お父さんの本心は?」「個人の本心を捨てて国に従えと学校は教えた」の返答に父親は激しく慟哭した。戦後、志願兵となり、戦死した主人公の一番親しい級をお参りに行った際、その母親から「学問さえ自分にあれば息子を死なせなかっただろうに」と嘆かれたとき、主人公は「学校は私たちに死ねと教えたのです」と答えて、ドラマは閉じられた。

 そのドラマを見終えて、深く考えさせられた。また、3月の地震津波災害、原子力発電所事故に対応する日本の政治、学者、官僚そしてそれを無関心で支えて来た一般の私たちの姿が、ダブついて見えた。歴史を通じて、どれほどの命が為政者の無能と自己保身の大人たちによって失わされてきたことだろう。

 大災害を含め、問題の山積する世界にはよい指導者が必要だ、そのためには、私たちは指導者を見分ける力、ものが自由に言えること、大いに議論できること、考える力、等々を備えなければならない。今、誰もがそれを痛感しているのではないか。でなければ、原子力発電所は事故を繰り返し、故郷、家、仕事、家族を奪われ、被爆に悩まされ、命を失わされてしまう。

 ダルクに集う「薬物依存症」者についても、正しい理解、正しい支援法、広い共感、等々を社会がよい指導者のもと整備することによって、依存者が「死」ではなく「生」の未来が開かれるのではないか。ダルク後援会はその一助になりたいと願っている。

 どうか、みなさま、ご理解とご協力をくださいますよう お願いいたします。

戻る