“私たちのメッセージは希望 私たちは自由を約束する”

ナイトケアハウス「ホープ」責任者 津山 智樹


  先月、横浜は赤レンガ倉庫で開催された日本地区の薬物依存症回復者の集まり(N.A)で、話す機会が与えられました。私の話すテーマは“私たちのメッセージは希望”でした。最初に浮かんだ事は、テキサス(サンアントニオ)で開催された32回の世界大会。数万人収容のスタジアムに入ると会場内は、うっすらと暗い、舞台中央にライトアップされた文字“our MESSAGE HOPE our PROMISE FREEDOM”これを見た時、鳥肌が立ちました。

 名古屋ダルクにつながった8年半前、20年近く、この問題に苦しんだ末期、正にどん底でした。深いふかい穴の底に、ポツンと一人へたり込み、上を見上げるも掘り下げた穴は深く地上の光は遠すぎる。そんな感じでした。一人孤立し、途方に暮れ、茫然自失。何とか、はい上がろうとするも、あがけばあがく程、底は深くなっていきました。どん底で倒れていると、上からロープが投げられました。声を聞くと“私は警察官だから、助けてやる”然しつかまる訳にはいかず、無視。次に弁護士、医者、様々な人達がロープに掴まれ、助けてやるといいますが、自分を信じられない状態になっているため、どれも掴むことはなかった。家族、知人、友人は今更あわす顔がないと勝手に感じて掴める筈もなかった。最後は気力が抜けた。とても言葉では表現できない感じ、絶望でした。

 そんな時、一人のアディクトが底まで降りて来て言った。“かつて私も、この穴に落ちていた。上がり方を知っているから一緒に上がろう。”8年前に連れて行っていただいたときに届いたメッセージを自分にあてはめた。先日掃除をしていたら、当時のメモが出てきた。“ミーティング スポンサーシップ サービス”とあります。何をすればよいのか? と聞いた答えでした。名古屋にたどり着き、何度も何度も耳にした事でした。どん底からはい上がるには、どん底からはい上がった人の経験が必要でした。穴の外に出られたと実感が持てた時、そこには、実に多くの人々が待っていました。囚われから開放された今、実に多くの方々に支えられ続けていることのありがたさ、あたたかさを感じています。初めて行った築地のミーティング場。地図を片手に、たどり着いた私は、両脇に汗をかき、うつむいて何も話せませんでした。

 現在、ダルクに居て、電話や手紙を受け面接。どの人も一様に沈んだ表情でやってきます。今日一日を重ねるうちに皆の顔に笑いが戻り始めます。現在3ヶ月〜6ヶ月の新しい仲間が多いのですが、新しくつながってくると、皆がサポートに頭を抱えています。ダルクにつながり、回復のサンプルに出会い、目に見えないハイヤーパワーを信じられるようになるには、長い時間が掛かりますが、一人ではありません。信じる材料は目の前にあります。ミーティング場に足を運び、耳を傾けると希望と自由への経験が転がっています。

 皆様方に支えられ、ナイトケアハウスは維持され、つながってくる人に回復の機会が与えられます。

 継続的なご支援を頂いている皆様、ご支援くださる方々に感謝いたします。

 ありがとうございます。

献金件数(ナイトケアハウス・ホープ)
5月 6件 47,630円
6月 10件 52,800円
7月 5件 33,880円
8月  7件  39,800円 
28件 174,110円

郵便振替口座番号: 00800−4−133552
加入者名: 名古屋ダルクナイトケアハウス基金

 追伸: グッドニュース!です。ホープに2年入寮していたタカヤが自立しました。
      希望がひとつ増えました。彼は皆様に支えられ続けています。

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