先行く者

ダルク後援会会長 竹谷 基


 約20年前、用事で沖縄へ行ったことがあった。会議を抜け出て、知人と海へ泳ぎに行った。初めて見る海の青さ、透明さ、白い砂浜とすべてに感動した。その美しい海、ジュゴン等、多様な生物の宝庫であるその海「命ドウ宝」を埋め立て海兵隊の航空基地を建設しようとしている。先日、その計画が持ち上がってから今日までずっと反対闘争しているドキュメンタリーを見ることが出来た。

 辺野古が舞台だった。現地では、女性達が頑張っていた。その中の一人は高齢にもかかわらず、スウエットスーツを着て、カヌーで海上にある見張り櫓に行き一日中、建設のための測量調査、等の妨害をしている。それまで、泳いだことさえない彼女が泳ぎや潜りを教わり、抗議行動で職員たちから櫓から振り落とされそうになっても、しがみついている姿を見たときには私は涙が出てくるほどであった。私は、そこに自分の信仰しているイエスの姿を見出した。イエスは「小さくされた人たち」が平等に幸せになるよう「生命と人権」が守られるよう働きかけた、即ち、神から愛されていることを証しした、結果、支配者たちから惨殺されたのであった。キリスト教神学では、そのイエスを「先立たれる人」、死を乗り越えて先立つ人と呼んでいる。そのイエスを辺野古の女性達に見たのであった。

 何故、そんな危険をおかしても逃走するのかとの質問に、彼女たちは異口同音に「人の命と海の命を守りたいから」と答えていた。基地のない所に、住んでいる私たちには思い至らないことだった。基地があることは「戦争に加担していることになる」から、したくないのだ、と言う。沖縄の人たちに基地のあることの苦しみ、悲しみを押しつけてきて、私たちは「平和だ」言っていたことの無責任さに心痛かった。それを知らせてくれたから、私は彼女たちを「先立つ人」と思ったのであった。

 名古屋ダルクも「先立つ人」と言えるのではないか。薬物依存症の青年たちと寄り添い、回復の道を歩む姿は、行政や医療機関では為し得ない、むしろ、非難の多い働きだ。しかし、先を行き、後からついて行く者に希望と勇気を与えているのではないだろうか。

 どうか、みなさま、先行く名古屋ダルクと共に、薬物依存症者の回復を応援ください

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