つながる

ダルク後援会会長 竹谷 基


 オリンピック一色の日々も過去のものとなった。期待されても、その通りにならなかった選手は気の毒だ。常に成績を問われるスポーツ選手は過酷だ。もちろん、金メダルを挙げられた選手は拍手喝さいを受け、それなりの報酬と地位を得られるが。挙げられなかった選手には恥辱と汚名しかない。スポーツに限らず、利益が第一と言う資本主義社会では人は成果を求められる。もし、人生の価値が成績だけというなら、何と過酷なレースだろう。格差社会とはスタート地点からして平等ではないということ、つまり、生まれた地点で勝負が決しているのだ。生まれたことを呪うしかなくなる。

 さて、オリンピック中継最中で、面白い番組があり、目から鱗で、非常に感心した。スキーのジャンプ競技には、その試合が安全にできるかどうか判定するためのテストジャンパーなる人たちがいる、と言う。私たち観客、特に、TV中継でしか見ない者には全くその存在すら知らない。テストジャンパーにはオリンピックを目指しながら選ばれなかった者もいる。だから、彼らの心中は複雑だ、何で、俺がしなくちゃ、と言う。しかし、長野オリンピックでは吹雪がひどくなり、試合続行が危ぶまれ、テストジャンプの結果で判定となった。そんな危険の中、テストジャンパーは日本チームの逆転優勝を願い、懸命にジャンプした。結果、試合が続行し、日本チームは金メダルに輝いた。試合後、選手らは、テストジャンパーの想いに応えよう、何が何でも飛ぼう、俺が今、スタート台に立てられるのは彼らがいたからだ、と語っていた。テストジャンパーの一人が「繋がっていた」と述懐していた。

 その番組では、金メダルを獲るのはその選手一人ではない、無名の多くの人々の「繋がり」があって初めて可能だったのだ、と言いたかったのだろう。トップアスリートとはそのアスリートを生かす「繋がる」人々の象徴、と言うのだろう。
それは、金メダル選手だけだはない。一人の人が生きるのも同じだ。誰一人、一人では生きては行けない。ゆるされ、感謝して生きて行けるのだ。私たちは人と相互に繋がって初めて生きて行ける。

 私は偶々、「薬中」の人と繋がらしてもらった。そして、薬の怖さ、生きて行くとは何か、仲間とは、等など、多くを教えられ感謝している。そして、私が「薬中」の人たちが生きるための某かの力になれたらと思っている。どうか、みなさまもその「繋がり」に加わりませんか。今後とも名古屋ダルクへのご理解とご協力をお願いします。

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