名古屋ダルクに来て

ゴッツァン



 名古屋ダルクへ3年前の8月に来ました。それまでにダルクを転々とし、リラプス(再使用)も何度となく繰り返しました。ダルクへ来て責任者に言われた事は「任せて」と「君のテーマは自立だ」でした。そして仲間と一緒にミーティングとバーベルの毎日が始まりました。「こんな事は何度もやってきた」。「こんな事している場合じゃないんじゃないか」。と自分の脳みそで考えながら、ただ、言われた事をやってました。自分の考え、計画は、ここでは何の役にも立たず、ただ、やるしかありませんでした。過去から何とか自分の力でやってみようとしましたが、結局は精神病院かダルクへ戻ってました。そういった事からリハビリが始まっていきました。部屋を借りてもらい、朝、起きてダルクへ通所しました。夜は部屋へ帰ると何だか淋しく、不安と緊張が続きましたが、段々とそういった事にも慣れていき、安心できる部屋へと変わっていきました。中々身の回りの事は変わらず、ゴミは散乱、服は脱ぎ放しと、過去人にしてもらっていた習慣は直らずにいました。段々とミーティング、バーベル、独り暮らしにも慣れてきた頃、アルバイト探しへ出掛け、飲食店での仕事が始まりました。生活費は家族から援助をしてもらい、給料は海外で開かれるギャザリングやコンベンション参加の為に貯金していきました。仲間の中からバイト先で出逢う人達との人間関係で、何とかしてバイト先を変えたいとおもっていましたが、責任者からは「嫌な事をやって」、「行け」の一言で仕方なく、仕事へ行きました。逃げる事ばかり考え、逃げる所など何処にもありませんでした。その間にハワイ・テキサスで開かれたワールド・コンベンション、ニューヨーク、マイアミのNAに参加してきました。初めての事でした。沢山の仲間との出逢いがありました。出逢いの中で自分自身をよく知る事が出来ました。

 過去、薬と酒を使わずに生きていく事なんて自分には出来ないと諦めていました。警察には何度も捕まり、精神病院にも何度も出入りを繰り返し、それでも使い続けました。幼い頃から自分自身が嫌いでした。生きていく事に恐れを感じていました。早く死ねるなら、それでもいいと思っていましたが、死ぬ事も出来ずに、薬と出逢って全てから解放されたと思っていました。沢山の人に嘘をつきました。傷つける事ばかりしてきました。自分の事しか考えられない自分になってました。それは生きずらい人生でした。ミーティングの中で依存症は回復できる事を知っていき、回復したいと願いました。責任者がスポンサーでもあるんですが、提案を聞いてやりました。そりゃあもう、大変でした。「お任せ」なので・・・。

 行動をしてみると、これで良かったと思えます。最近、責任者から言われた事は「沢山の仲間たちと出逢って」と言われたので、名古屋以外のミーティング場に参加したりしています。先日、刑務所のメッセージに連れて行ってもらいました。アクリル板の向こうに仲間が居ました。いつそこに自分が座っていても、おかしくはないと思いました。仲間やミーティングのおかげで、今日は薬を使わずにいられるだけでした。

 今、薬が止まり始めて2年が過ぎました。ただの目安でしかなくて、再び戻る事は一瞬だろうなと思います。今の希望は色んなサービスに係りながら、自立していきたいと思っています。お任せしながら・・・。

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