YS-11からのいい話

ダルク後援会会長 竹谷 基



 先日ラジオで、戦後初の国産旅客機YS−11の全182機の記録を書いた人のインタビューを聞きました。著者は、182機にはそれぞれの人生がある。機体の表情にも各々がある、と語っていました。なるほどなぁ、と私は思いました。YS−11に関心のない私にはたかが飛行機にしか見えないのに、愛する人は各YS−11の軌跡を人生と呼んだり、機体の表情にも個性があると言ったことにとても感動しました。特に、各機体を見るときには各々の辿った人生全体から眺めるから、個性が見えると言われたことに。

 キリスト教に関心のある方は知っておられるでしょう。いわゆる史的イエスと信仰上のイエスの問題。イエスについて知ることのできるものは福音書しかない。しかし、福音書に書かれたイエスは歴史上に生きたイエスではなく、信仰者の目、即ち、イエスを「救い主」として信じる観点から様々な伝承を用いて書かれた(編集された)。そして、著者(編集者)の「救い主」像の違いから、イエスがどういう「救い主」かも異なっている。聖書には4つの福音書があるので、4種の「救い主」イエスがある。また、現代の「救い主」イエスも福音書イエスとの対話によって生まれている。
イエスが誰であるかは、イエスの辿った人生全体から初めて見えてくる。ある面だけを捉えるなら、狭い、浅いイエスしか見えない。奇跡を行ったというところだけでは、ただの超能力者、説教だけからはただの上手い説教者に、と。しかし、そこに、十字架刑死を含めるならば、より広い、深いイエスが見えてくる。

 私たちは人を見るときにある一面でしかみないことが多い。そして、好きか嫌いかになってしまう。そうではなく、人を人生全体から、その人を全体から見るとき、理解と共感が生まれてくるのではないか。ようやく私は、長年の関わりの中で、ホームレスの方を「野宿者」として見ることから、一人の個性として見ることを教えられている。よくよく考えれば、それは私自身が人々に要求していることだが。
ダルクのメンバー「薬中」の方との関わりも、私に同じことを教えてくれた。怖い、分からない、という偏見から、各々の人生全体から理解して行くことを。

 みなさま、この冬は、後半、寒さが厳しかったですね。でも、ようやく、暖かくなってきました。心も体もうれしいですね。人との関わりも、理解と受容によって暖かくなるようにして行きましょう。

 みなさまの名古屋ダルクへのご理解とご協力に感謝します。

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