ダルク後援会会長 竹谷 基 聖書のクリスマス物語にはキリスト教徒でない方にも馴染みの話しがあるでしょう。その中の一つに、三人の博士のイエス訪問の話しはないですか。もちろん、これは史実ではなく創作物語です。馬小屋でイエスが生まれたというのもそうです。これらの物語で作者はイエスが誰であるかを紹介しているのです。三人の博士の物語は、イエスがユダヤ人のためにだけ生まれたキリスト(=救い主)、排他的な方ではなく、それ以外の全人類のために生まれた方、開かれた方であることを信仰の目で語っているのです。 で、そんなことはさておき東方の三人の博士(占星術の学者という説もある)の物語には、何故か「月の砂漠」の歌と相俟って心惹かれる。三人は星に導かれて旅立つ。彼らの旅は砂漠という困難極まりのないものであった。しかし、諦めかけたとき、何故かその度に、星が現れ、彼らを導く。そして、ようやく目的に辿り着いた。 俺の人生もかくあれと祈る、そこに憧憬があるのだろう。 人生には導き手、支え手が必要だ。では、その導き手はどこで得られるのか。それは出会いとしか言えない。親鸞は法然との出会いにより、自力本願から南無阿弥陀仏の他力本願の道を究めるようになったという。私は親によってイエスと出会った。イエスは行くべき道を示し、支え手となっていつもそばにいてくれる。だから、こんな私でも生きて行ける。真に有りがたいことだ。しかし、出会っても選ばなければならない。でないと、とんでもない所へ連れて行かれる。今、話題の食品偽装問題や防衛省の汚職、等も誤った導き手を選んだことによるのではないか。日本の行方もそれ如何だ。 クリスマス物語の馬小屋の話しは私たちにどこに人生の幸いがあるかを示している。サンタクロースの話しも同様だ。幸せは他者を喜ばすことにあるのだ。 人生と格闘し、誤って薬を導き手にして病気になった若者たちが大勢いる。ダルクはその彼・彼女たちのリハビリの場所となっている。幸いなことに、良き導き手を与えられた私たちはクリスマスのシーズン、サンタクロースとなってリハビリに励む若者たちを応援したいと思う。 どうか、みなさま、ダルクに暖かい志をくださいますようお願いします。 |