《家族の体験談》

家族の回復に向かって
 私には子供が二人いますが 下の子供が薬物依存症者です。夫は下の子供が生まれた10ヶ月後に死亡しました。

 親子三人の暮らしが始まりますが、小学校時代は登校拒否があり、中学校時代は他校生徒との暴力事件そして高校を中退しアルバイトをしていく中で薬物を知ったようです。シンナー・ガス・覚醒剤などいろいろ使用していました。私に暴力をふるう事はなかったのですが イライラしてくると 家具を壊したり「近所の犬がうるさい」と怒鳴りに行ったりしていました。

 そんな時 私はオロオロして子どもをなだめたりしているだけでした。そして言葉の暴力が始まります。子どもも私も仕事をしていたので翌朝はつらいのに理由もなく私に「あやまれ」とか意味不明の事で、何時間も私を責めます。朝になると、私は子どもが遅刻しないように30分位前から起こし始めるのです。仕事に間に合わないと私が責められるからです。又遅刻をしてしまった時は、私が上司に電話をしていました。嘘の理由を言って私はとても困っていました。でも、どこに相談をしたらいいか分からず、そしてまた探そうとせず毎日が不安と怖れの中で 一人で耐え暮らしていました。

上の子どもは結婚して、家を離れていました。

 ある時 子ども本人から「病院を探せ!」と言ってきました。きっと本人もつらかったのでしょう。でも、その時の私はそんな気持ちを分かろうともせず、自分のことしか見えていませんでした。

 3ヶ月位の入院でした。退院をする時、担当医から本人が行く施設と家族が行く自助グループを勧められました。早速自助グループに連絡をしたのですが、つながらず。 次には子ども本人が行くべき施設に連絡をしました。そこでは本人でなければ受けられませんと言われ、家族は勉強をする場所があると教えてくれました。

 1年位通い、依存症について学びました。そして、やっと家族の自助グループに出会えることができました。今から5年位前です。

 そこではプログラムを中心に、自分の生き方を変えてゆくということをしています。施設の家族会にも1年ぐらい通いました。今まで子供を助けるのは親として当然と思い、手を出しお金を出し世話をしてきました。そして薬など使わず、まともな生活をしてほしいと願っていました。でも、助けていると思ってしてきた事が、本人をいつまでも薬からぬけ出せなくしていたという事を学びました。私が助けているので、子どもは本当には困っていないのです。

 ある時、私が習い事をしている場所までお金を借りに来ました。もうダメ、これ以上は一緒に暮らせない。私が傍にいたら手を出してしまうと考え、家を出ました。

 それから、半年後子どもは事故を起こし、大やけどで入院をしました。入院中に私が通っていた施設の家族会を通してスタッフに面会に来てもらいました。退院をする時は、家に帰らず、そのまま地方の施設に行きました。本人の希望で 近くだと家に帰りたくなるという思いから、なるべく遠い場所へとの事でした。

 私は今、自助グループで学んでいることを大切に日々の生活に生かせるよう暮らしています。依存症者に対してだけでなく、世の中の他の人々に対しても自分がどう接していけばいいか考えます。心が落ち着き、穏やかになってきます。子どもは施設を飛び出し、問題を起こし警察につかまりましたが、今は一人で働きながら生活をしています。でも 私の心は、以前のように乱されません。

 自助グループを知り、学び続けることで他の人に振り回されない生き方を身につけられているのだと思います。(アノニマス 母親)
   

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