安全保障のジレンマ

ダルク後援会会長 竹谷 基


 さる土曜日3月3日、ニュースは米国が新たな核弾頭を開発したことを伝え、新たな、核開発競争が始まることを危惧していた。1980年初頭の米ソの核戦争の危機だったことを思い出す。現在、核時計は7分前だと言う。

 先日、南山大学のマイケル・シーゲル神父の講演を聞いた。師は今、憲法9条を宝として、戦争のない世界、ひいては、環境保全の地球を作って行こうと一番精力的に活動している方だ。その主張の中に、「安全保障のジレンマ」というのがある。つまり、ある国が他国に脅威を感じて、軍備を拡張して行くと、他国は脅威を感じ、同じく軍拡に走る、そして、ついには、やられる前にやってしまおう、と戦争を始める、ということだ。シーゲル神父は例として、第一次世界大戦がその様にして始まったことを教えられた。

 日本では中国や北朝鮮の脅威が盛んに喧伝され、そのために米軍との一体化、軍事費の増大、憲法の改正に拍車がかけられている。そんな日本に脅威をかんじて中国、北朝鮮は同じく軍拡に走るだろう。そして、忘れられるのは温暖化等の地球汚染だ。

 さて、相手を脅威と感じるのは何故だろ。一つは、互いに正直じゃないことだろう。偽って誤魔化しているから、疑心暗鬼になるのだろう。その前提には互いの敵視があるだろう。では、脅威からの脱皮には何が必要だろうか。まず、共存がある。今、戦争ではなく温暖化を食い止めなければ共倒れになってしまう。力を合わせて解決すべきではないか。そのためには、相互に尊重し、透明、正直になること。そして、相互理解、対話の継続が前者二つを推進して行く。これらは、国家間、民族間だけには止まらない。人との関係にも及ぶ。互いが、ありのままを認め、受け入れ尊重して行くとき、武装しなくても、安心して共存して行けるのではないか。

 名古屋ダルクでは、ありのままを認め、受け入れ、共生して行くなかで、薬という武器を捨てて行こうとしている。

 私たちも心にいろいろな武装をして生きている。私たちはダルクの仲間といっしょにチャレンジし脅威を克服して行きましょう。


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