津山 智樹
4年前、名古屋ダルクに入寮、暫らくして父からの短い手紙が届きました。実に23年間、周囲のあたたかい気持ちを知りつつも薬が止まりませんでした。その間、本当に沢山の事を引き起こしてきました。 兄が亡くなりました。私はその遺産金をも薬代にしました。娘が生まれ産声を聴き小さな手を見たら涙がこぼれました。小さな手がグッと私の胴をつかんできました。守ってやらねばとその時強く感じたが、ポチ袋に入っていた娘の誕生祝金も薬代にした。“俺は最低だ”そう感じ、そんな気持ちを飛ばす為にも薬が必要でした。あきらめていた。自分の事を終ってるなと思っていた。場所を変え、人を変え、同じことのくり返し。何度も生き直そうと意気込むがだめだった。そんな私でした。 しかし、名古屋ダルク4年目にしてやっと自分のおかしさを認め始めました。認め始めたら楽になってきました。これも偏に長い目で見守ってくれているスタッフのおかげです。運動プログラムを通して、バーベルを通して、続けることの大切さを教えてもらいました。やればできる、願えば叶う、何度も聞きました。そして、本当に少しずつですが成長しはじめました。体の健康をとり戻しました。ミーティングも一緒だよと教えてもらいました。今、私は新しい生き方を実感しています。自分のおかしさを認め続け、プログラムを信じ、仲間の経験を分けてもらう。これしか私の生きる道はないと考えています。マイナスだった生き方をプラスに変えるには?それは名古屋ダルクに長く関わる事がベストだなとおかしな頭で考えました。許されるなら私もスタッフとして生きてゆきたい。何故?私は重症の薬物依存症者でその事を隠して生きてはいけません。先行く仲間の様に希望になりたいのです。仲間は沢山の経験と希望を私に与えてくれました。私は未熟で新しい仲間に今は何も手渡す事はできませんが、いつか私も憲さんや柴さんの様になりたい。願えば叶う、そう信じています。 名古屋ダルクのプログラムが私に効きました。効果があるので続けます。そして、いつになるかは判りませんが、いつか私も新しい仲間に経験と希望を分かち合える人間になれる事を祈ります。そして回復の場を広げてゆく事、これが私の使命だと感じている今日この頃です。 最後になりますが、決して一人ではここまでたどり着けませんでした。名古屋ダルクと言う場を開け続けている人、支えている人、沢山の人のおかげです。ありがとうございます。 NEVER TOO LATE! NEVER GIVE UP! |