少年法とダルク

ダルク後援会会長 竹谷 基


 私の密かな楽しみは運転中、ラジオを聞くことだ。早朝、深夜、ひとり車を走らせているとき、ふと、ラジオをつける、すると、耳には心地よい音楽が流れ、何故か、こころにピッタリ合い、一人感動することが度々ある。また、人生や戦争体験、等の話しが魂を揺さぶり、これまた、一人涙することも数知れない。だから、ラジオのスィッチを入れるときは心なしかワクワクする。

 さて、先日も、ラジオからの話に、これはちょうどいいダルクニュースのネタをいただいたと、一人ほくそ笑んだ。それは、少年法改正についての話であった。少年犯罪の凶悪化や低年齢化は心痛い問題だが、起きるたびに国やマスコミは少年法の改正を声高に叫んできた、この度は犯罪の増加を防ぐために「厳罰化」するという。しかし、コメントしていた専門家によると、「厳罰化」は米、英国でも試みられたが犯罪は減らず、かえって、増えて失敗したことを指摘されていた。というのは、少年法は更正を目的としており、したことへの反省、被害者への償いに責任をもたせ、社会との適応、再犯を防止することが趣旨なのであるが、「厳罰化」では、かえって、憎しみや恨みを増殖させ、再犯を繰り返させてしまうから、と。

 では、少年の更生、再犯防止にはどうしたら良いのか。それは、加害少年が自己肯定できるようになること、つまり、自分が愛されていること、大切にされていること、受け容れられていること、ゆるされている自分を発見すること。そして、自分を肯定できてはじめて他者を肯定できるようになる、とその専門家は話していた。したがって、「厳罰化」は自己否定、自尊感情を持てないことにしてしまうだけだから、他者を認められず、犯罪を繰り返してしまう、とも言っていた。

 この話に私は考えさせられた。というのは、私たちの自己肯定はずいぶん怪しいからだ。ありのままの自分を肯定しているだろうか、成績、容姿、地位、等で自己を肯定しているのじゃないか。だから、嫉妬や逆恨みですぐ人を傷つける言動に走ってしまう。ということは、まだ、人を殺傷していないだけで、実に犯罪者とは紙一重でしかないのじゃないか。

 他者と共に生きて行くには、自己の肯定こそが大切だ。その実践をダルクは行っている、と言ってもいいかもしれない。「薬中」を受け容れ、互いを認め、ゆるし、大切にする経験を日々、積んでいる。

 私もイエス・キリストとダルクから受け容れられたため、今、図々しく生きておれる。

 どうか、みなさま、このようなダルクをご理解ご協力ください。また、9月24日のチャリティーコンサートにもお出かけくださるようお願いいたします。


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