「始まった」


 1985年に始まったダルクの活動は、1989年名古屋に飛び火した。
全国で2番目のダルクを作る為、名古屋市内の不動産屋を回った。「薬物依存症リハビリセンター」に物件を貸してくれる所は中々無く、ため息が出た。ひょんな事から古い貸家が見つかり名古屋ダルクが誕生した。風薫る5月の事だった。

東京ダルクから仲間達がベッドや椅子を運んだ。
私達は床をはき、窓にカーテンが掛かった。
すでに奥の部屋には、行き場のない仲間が2人で寝ていた。
やっと回復する為の巣ができた。

それからはいささか過激で時には漫画のようなドラマの連続だった。実態が知れ渡ると前の道路を使っていた小学校の通学路が変わり、幼稚園の通学バスが止まらなくなった。警察ざたも日常茶飯事だった。
ミーティング場にあるテレビが金属バットでめちゃくちゃに壊された。

時々、恨まれて刃物の切っ先が迫った。
それでも「今日だけ」を合い言葉にミーティングに行った。
時と共に元気になっていく仲間が出始めた。その変わり様が鮮やかだった。「救わなければ」という使命感はなかったが「刑務所ざんまい」の人がスーパーで前掛をして陳列台に商品を並べている姿を見ると無性にうれしかった。
今年、小さくて弱い名古屋ダルクは15回目の「風薫る5月」を迎えた。
 そして又、今日も始まった。

ダルク
外山憲治




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